発達障害の私が自立を獲得するまで(1)

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aspeman

1989年、広島に生まれる。 理系大学に進学するも、文筆家を志すようになる。 在学中より定期刊行物への投稿を始める。 卒業後は毎月1本の連載を抱えるも、発達障害のためにアルバイトを転々とする。 経済困難による自殺未遂なども経験しながら文章の道を求め、現在では文章一本での生活を確立している
This entry is part 1 of 6 in the series 発達障がいの私が自立を獲得するまで

私は、ADHD(注意欠陥多動性障害)アスペルガー症候群の当事者です。自身のことを発達障害であると知ったのは、22歳のときの事でした。この2つの発達障害には随分と悩まされてきました。

大学生まではそれほど苦労なく歩んできました。周りからは多少変わった人間であると見られていましたし、私自身人とは違うと感じていました。しかし、それは天才肌なだけであるとも思っていました。発達障害であるがゆえに、思い込みが激しいという特性によってそう思い込んでいたのだと思います。

天才肌なだけ。と思い込んでいた学生時代

その気になれば勉強はできたことが、その思い込みの原因でした。記憶力に偏りがあり、物忘れなどは激しいものの、暗記を伴う学問では著しく好成績を挙げることができました単語や年号など、単純かつ不変の事実を暗記する能力に長けていたのです。

その反面苦手な記憶は、簡単に言えば体験を伴う記憶です。人はそのときに置かれた状況に応じて、臨機応変に判断して行動していきますが、そのときにはこれまでの体験や知識に基づく複数の記憶を活用して判断していきます。私の場合、この体験に基づく記憶を思い出すことが非常に困難なのです。例えば一度扉を閉め忘れて「ここの扉は開けたら閉めなさい」といわれたとしたならば、その閉め忘れたという体験を伴う記憶を思い出すことができず、次回もまた閉め忘れてしまうのです。

扉の閉め忘れくらいであれば大きな問題には至りませんが、社会に出てからはこれができないため、非常に苦労をしました。トラックの運転手をしたこともありますが、製品をトラックに積み込むとき、要領の良い積み込み方を何度教わっても覚える事ができなかったなどという時がそうです。

文筆で一旗あげるため、アルバイトで生活費を稼いだ

天才肌であると勘違いをし、学生時代には大志を抱きました。文筆の世界で一旗挙げてやると決めたのです。一度決めたら頑なになる性質も発達障害によくあるもので、この性質と自分のことを天才肌だと思い込んでしまう性質とが相俟って、その志に一直線になりました。そのため、就職活動などは全くしませんでした。

やがて卒業し、関係のあった出版社の定期刊行物に、毎月一本の連載を開始しました。これを足がかりにして名を上げることができると信じて疑わず、それまでの生活費を稼ぐためにアルバイトをしました。

最初は肥料の分析作業員でした。この仕事は工場で製造された肥料を、薬品などを用いて分析するものです。イメージとしては、高校で行う化学の実験のようなものだと思えば良いと思います。当然、試薬の量を誤れば正確な分析結果は得られませんし、分析手順を正確に踏んでいかなければ失敗してしまいます。このとき、ADHDが大きな足かせになりました。

小さなミスが積み重なり、解雇へ

まず、試薬の量を正確に測って分析を進めなければならないにもかかわらず、注意力の欠如によって、どれほど注意して進めても頻繁にミスをするのです。また、手順をしっかりと踏んで行おうと思っても、手順をひとつ飛ばしてしまったり、休み時間を挟むとどこまで進めていたか忘れてしまうのです。

後者のミスに関しては、チェック表を作って作業を進めるなどしてミスを防ぐ事ができましたが、前者の計量ミスや測定ミスだけはどうする事もできませんでした。最初は職場の人も寛容でしたが、一ヶ月を過ぎたあたりから「もう新人じゃないんだから」と白い目で見られるようになり、職場では肩身の狭い思いをしました。そしてミスが多いという理由でシフトが徐々に減っていき、やがて分析作業員から工場での単純作業に回されました。

工場の単純作業でさえも、2つの事を同時に指示されるとどちらかを忘れてしまう事が多く、ミスを連発しました。現場の責任者が真面目にやっているということだけは理解してくれ、ミスをフォローしてくれたため仕事を続ける事ができましたが、どのポジションでも上手く行く事はありませんでした。しかしフォローをする側も次第にあきれてしまい、ミスを頻発していることが上層部に伝わり、解雇となりました。

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1989年、広島に生まれる。
理系大学に進学するも、文筆家を志すようになる。
在学中より定期刊行物への投稿を始める。
卒業後は毎月1本の連載を抱えるも、発達障害のためにアルバイトを転々とする。
経済困難による自殺未遂なども経験しながら文章の道を求め、現在では文章一本での生活を確立している