高機能自閉症で論理的な私が、論理的にこれまでの人生を振り返ってみた

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1990年 広島生まれ 広島育ち PDD当事者  大学と大学院で物理を専攻 会話が苦手 作文が得意 個人ブログ http://fumiya-t.blogspot.jp/

やっぱり凸凹していた、私のIQ。

この文章は、自閉症の当事者である私がこれまでの人生を振り返って記述したものです。自閉症が原因で起こった様々な問題と、その帰結を書いてあります。現在抱えている問題についても記述してあります。

wais-3というIQ検査があります。私の検査結果の数値は、言語理解 136 知覚統合 103 作動記憶 130 処理速度 89 です。検査結果は、IQ100を一般的な平均値として考えます。私の場合、高いのが言語理解と作動記憶です。知覚統合は103で平均レベル。

一方で、処理速度が89でやや低い結果となっています。処理速度というのは実際に手を動かして作業すること(事務仕事、パソコン仕事、など)や、計画を立てるような能力を表しています。私の場合、手を動かしての作業や、計画を立てる面で困難が生じやすいと読み取れます。こんな私が、現在塾の先生をしています。

 

幼稚園から大学院まで。人生も凸凹している。

幼稚園

よく覚えていないけれど、嫌な思い出しかない。母と離れるのがとても嫌だった。環境の変化に弱いのは自閉症の特徴であるらしい。

小学校

味覚過敏による偏食で変わり者扱いされて正常な人間関係を作る機会を失う。継続的にいじめにあう。給食を食べられなくて目立ってしまったのがいけなかったらしい。

問題と対策
植物の匂いが嫌で野菜が食べられなかった。嗅覚が過敏だったためと思われる。当時はただの好き嫌いと思われていたが、発達障害の診断があれば周囲の理解も得られたかもしれないと悔やまれる。

中学校

学校になじめず睡眠障害に陥る。厳しい校則や制服の規定などが嫌だった。先生も両親も、中学生としての自覚を持つように促してきたが、それが具体的に何を意味するのか分からなかった。とうとう我慢できなくなって2週間ほど学校を休み、精神科医の診察を受けるが、睡眠薬を出されただけだった。2年生からは、勉強ができるようになり、楽しくなった。自分のやり方を見つけたことで、うまくいくようになったと思う。人の言うことを聞いているだけではだめだった。勉強ができることが、自信につながった。

高校

協調運動障害を理解されずに体育の先生から問題児扱いされる。決してやる気がないわけではないのに信じてもらえないのはつらいことだった。勉強ができない生徒はたくさんいて許されているのに、運動のできない自分が人間失格のように扱われることが、納得できなかった。仮にも体育の教員が協調運動障害を知らなかったでは済まされないと思う。体育ができないことを両親と担任の教師に訴えるが、やる気がないだけだとか、親の育て方が悪いとかいわれて悔しかった。別の精神科医の診察を受けるが、PDDの診断には至らなかった。睡眠薬をもらったが、あまり効果がなかった。

問題と対策

協調運動障害と診断を受ければ理解も得られたかもしれないと悔やまれる。当時の周囲の大人は、両親も教師も「お前が我慢しろ」としか言わなかった。いくら我慢しても、できないものはできるようにはならなかった。この時期のことが原因で、現在も少し両親が信じられない。

大学

高校で先生に不当な扱いを受けて十分な勉強をすることができず、将来何になるか考える余裕もなかったため、とりあえず努力せずに入れるところに進学。講義についていくのは大変だったが、実験の授業などで同級生と共同作業をおこなうことは問題なくできた。実験のレポートや論文を書く作業を通じて、文章の書き方なども習得することができた。
しかし就職活動は嫌だった。それまでの経験から、容易には人を信じられなくなっており、面接で自分を否定されるのが怖かったので、とりあえず大学院に行くことにした。

大学院

私は勉強は割とできたので、研究室に配属された当初は大学の先生からは割と大事にされた。
しかし後に研究上の考え方の違いから指導教員と対立。研究室を追い出される。自分の方が正しい自信があっても、学生の身分ではそれを証明する手段がなかった。不注意によるミスで実験装置をいくつか故障させたことも、立場を悪くした。

大学の医師に診察を受けたところ、精神障害の可能性を指摘されてwais-3検査を受ける。結果は自閉症という診断だった。

大学のキャリアセンターにも相談に行き、これまでの経緯と履歴書のようなものをかなり詳しく書いて渡したが、半年通って会社の一つも紹介してこなかった。このキャリアセンターの紹介で、障がい者の就労支援をする会社で教育を受けるが、特に得るものはなかった。

大学のカウンセラーにも相談に行ったが、話を聞いてくれるだけでどこに就職すればいいのか結論を出すことはできなかった。

自分で就職活動をするにあたって、オンラインに求人広告を出していた学習塾に応募し、履歴書を送ったところ、募集要件に近いと返信があり、面接を経て採用された。現在はこの塾に勤務している。

 

1.現在、塾で仕事をしているときに生じる問題

(ア) 不注意による計算ミスと書き間違いが多すぎる。
生徒の受ける物理のテストをやるように指示を受け、4回受験して採点を受けた際に毎回注意を受けた。このままでは生徒の質問対応を任せられないと言われる。高校生のころから試験の結果にはいい時と悪いときとで大きな差があり、自閉症の症状の一つではないかと疑っている。

(イ) 黒板やノートに文字をきれいに書くことが難しい。

協調運動障害を持つため、文字を早くきれいに書くことが難しい。

(ウ) 授業の模倣が難しい。

先輩講師の授業の映像を見てその模倣をするようにと指示を受けるが、うまくいかない。PDDの症状の一つに、他人の模倣が困難という特徴がある。

(エ) 上司の指示を忘れることが多い。

指示を受けてメモを取っておいても、そのメモの存在を忘れるということなど、一度言われた指示を守れないことが多い。

(オ) 指示を受けるときにメモを取ることが難しい。

マルチタスクが苦手なため、話を聞きながら字を書くことが難しい。

(カ) 家で長時間勉強することが難しい。

試験の結果が悪かったので、上司から家庭で物理の問題を解く訓練をしてそのノートを提出するように言われる。体力に欠けるため、家庭で長時間勉強するのはつらい。ノートにきれいな字を書くことも難しい。仮にこの課題をこなしたとしても、注意力の欠陥はおそらく改善しない。

 

2. 塾で起こっている問題。これをどうやって解決するか。

(ア) 別の仕事を探す。

今の職場は不注意による計算ミスが許されない環境であるため、このまま今の職場にとどまるのは不適切。失敗の許される別な仕事に代わることで解決する。その際にはPDDのこともはじめから伝えて就職活動をすることを希望する。

問題

就業規則によって同業他社への転職が禁じられている。別な職種を探すことになるが、今度は何の仕事をしていいのかわからない。

(イ) 上司に障害について伝えて理解を求める。

問題

分かってもらえなかったときの着地点がない。喧嘩別れのような形で辞職することになる可能性がある。

(ウ) 何もせずに我慢する。

問題

小学校から大学院までの間に繰り返してきた適応障害のような状態に再び陥る可能性が高い。

3. 別の仕事をするなら、何にしようか。

現在一番好きなことは、むつかしい問題を時間をかけて考えること。解決する方法を考えるのが好きなので、実際に解決するのはそんなに好きではない。答えが正しいかどうかについても、あまり興味が持てない。

① 物理の研究者

学生の頃一応目指していた。しかし研究の世界の雇用形態は非正規雇用が多く、さらに2000年前後から大学院の定員が大幅に増加した影響で、終身雇用の研究者のポストは非常に狭き門となっている。

② 自閉症の専門家

自閉症の研究者となることも考えた。しかしそのためには医学部か教育学部に再入学して教育を受けなければならず、すぐには収入が得られない。

③ フリーターとして生きる

もっとも実現が容易な選択肢である。問題は社会保障が薄くなることと、将来性の無さ、給与の安さである。
苦手なこと

(ア) 込み入った作業を正確に行うこと。

大学のキャリアセンターからはSEを薦められたが、長いプログラムを正確に書くことは困難。

(イ) 正確な作業を求められる仕事。

注意力に欠けることはこれまで多くの人に指摘されてきた。

(ウ) 人に叱られること。

聴覚が過敏で大きな音が苦手なので、大声で叱られると立ち直れない。大学院で適応障害になった直接のきっかけは頭ごなしに自分の考えを否定されたこと。

 

4. これまで相談してきた機関。専門家も玉石混交だった。

(ア) 大学のキャリアセンター

大学に来ている障碍者対象の求人を管理していたにもかかわらず、半年通って会社の一つも紹介してこなかった。競争原理の働きにくい業界であるせいか、ここの人たちにはこちらの不安や焦りは伝わらなかった。やりたい仕事こそなかったが、なるべく早く仕事に就きたいという意向を伝え、かなり詳細な自己分析の結果を伝えたにもかかわらず、勧められたのは資格試験の勉強や障碍者の就労支援を行う会社に通うことだけだった。

(イ) K病院

大学で診察を受けた医師が勤めている病院で、現在通院して投薬治療を受けている。自閉症の診断を受ける機会をくれたことはありがたかった。

(ウ) 就労移行支援事業所W

障碍者の就労支援で有名な企業ということで、キャリアセンターからの紹介で3か月ほど通った。ここでやっていることは、いわゆる自己啓発セミナーのようなもので、一般論の域を出ない常識的なことを繰り返し教えているようだった。とても一人当たり20万円もの福祉予算を食う価値のある機関とは思えない。ここのスタッフは自閉症についても就職活動についてもあまり詳しくなく、かえってこちらから教えることが多かった。途中で我慢できなくなって、アルバイトをしますと言って脱走してしまった。

(エ) 個別指導塾M

就労支援事業所から脱走するために地元で見つけたバイト先。学生のバイト講師があまり勉強のできない子供を個別指導で教える塾。ここの学生講師の中では、おそらく自分はいちばん勉強ができた。楽な仕事だったが、頭のいい生徒が少なくて仕事のやりがいも少なかった。アルバイトだけあって、月給10万円程度。しかし、自分のような人間にも戦力として必要とされる職場があるという現実は、その後の自信につながった。

(オ) 大学のカウンセリングルーム

臨床心理士という人のカウンセリングを受けた。何の役に立つのかわからない話を繰り返されて通うのが嫌になった。

(カ) 集団塾H

現在の職場。塾業界には珍しくまともな会社。先生も生徒も賢い人が多い。先輩講師がみんないい人たちなので、できれば長く勤めたいと思っているが、自閉症を開示しなかったばっかりに問題発生。

 

5. 就職活動の方針

これまでの経緯を考えると、自閉症を開示して就職先を探したい。その際には、業種はあえて決めず、自分のような個性を持った人間を求人しているところを探すことを考えている。当初はこの方針で就職活動を行う希望を就労支援事業所の担当者にも伝えていたが、何かやりたいことはないのかという返事しか得られなかった。

問題

就職活動の現状は、やりたいことのはっきりしている人から就職先が決まるようにできている。しかしこれは、制度の欠陥である。たしかにやりたいことがあった方が、就職活動は効率的にできる。しかし、人材の供給や教育などは、本来非効率で、あまりうまくいかないものである。企業の求める人材の個性が明確に把握できれば、やりたいことがなくても自分のような個性を持った人間を探している会社を見つけることができるだろう。国内の会社の求める人物像はどこも似たり寄ったりで、会社ごとの差異を見出すことが難しい。狙うなら外資系ということだろうか。

解決策

人材派遣の会社に勤めることを検討している。できるだけ多くの業界業種の特性を把握することができれば、自分に合った仕事をさがすのも簡単になるかもしれない。日本には400万の会社があり、その1~2割は安定して利益を出している。その膨大な数の会社の中には、自分のような人間を必要としている会社は必ず一つや2つはあると確信している。しかし、その会社をさがす手段がない。日本の会社のすべての特性を把握している人物など、いるはずもない。大学のキャリアセンターや就労支援事業所はあてにならなかった。ならばもう自分で一つ一つの会社の採用試験を受け、受かったところで手当たり次第に働いてみて会社の特性を経験則から把握するという、とても非効率な方法しかない。何かほかに方法はないものだろうか。

 

6. 反省

自分のことは棚に上げて他人の批判を多く書いてきたが、これらの人たちに自分の意志を十分に理解させることができなかった責任は私にある。どうも私は他人に遠慮して言いたいことを我慢しすぎることが多い。一度言ってみて受け入れられなかったことは何度でも繰り返し言ってみるべきだったのではないか。長い議論と喧嘩別れを覚悟して他人と向き合うことが、これからの私の課題と言える。

 

7. これからの人生

今の会社でできるだけ努力をしてみようと思う。辛いことや落ち込むことはあるが、まだどうにもならないほどではない。自閉症を職場に伝えることについては、まだ迷っている。何かまた問題が起こったら、伝えることを検討しようと思う。私は言語性IQがかなり高いので、これから自閉症の人の考え方や感じ方について、一般の人たちに伝える文章を書くことを計画している。初めはお金にならなくても構わない。いずれ会社にいられなくなることがあったら、文章を書く仕事をしてみようと思っている。

この記事を書いた人

ftahara19900101
1990年 広島生まれ 広島育ち
PDD当事者 
大学と大学院で物理を専攻
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