ADHD的恋愛事情の紆余曲折を語ってみた

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荒川 泰之
クエストスクールという家庭教師をやっています。 個性を自立力にするための家庭教師クエストスクール http://quest-school.com/

ADHDである自分が過去に犯した数々の恋愛の失敗談、発達障害あるある的なことから、それはお前が悪い!的なことやら、今までの経験で学んでいったことを書き記しておきたいなーと思い立ち筆を取りました。

ADHDであることに悩み、恋愛を躊躇している方、或はいま現在恋愛で悩んでいる方の参考にでもなればと思っております。衝動的かつ偏りの激しい自分のADHD的恋愛模様が如何なるものかを、とくとご覧ください。それではどうぞ

 

恋愛事情:学生編

・中~高校生時代、恋愛というものには長らく縁が無かった。何せずっと部活中心の男社会に揉まれてきたのだ。おまけに身だしなみは全く気を使わず、スーパーで母親が買ってきたファッションとは無縁の衣服に1000円カットのスポーツ刈り。汗臭いださい恰好で灰色の青春時代を過ごしてきた。これはあまり恋愛への興味が薄かったという点もある。健全な男子だったので、エロには興味深々であったが、肝心の恋愛となると恋愛感情という曖昧なものが全く理解出来ずに何も動けずにいた。そんなダメ男になんと告白(生涯で唯一の思い出)をしてくれた奇特な女子がいてくれたのだ。しかも学年の中でもなかなか可愛いと評判の子であった。しかし恋愛という行為が如何なるモノかが当時は分からなかったため不安になり、せっかくの申し出を速攻で断ってしまうという暴挙に出てしまった。(そしてそれから10年以上女っ気皆無の不毛な人生を送ることとなる)

結局高校三年の時、周りの友人みんなが失恋するにせよ成就するにせよ、みな何かしら恋愛に対してアクションを起こしている現状に気付いた。そこでようやく焦燥感を抱き、取り合えず可愛いと思った学年の女子に告白してみるといった暴挙に出てしまい学年中の女子から白い眼で見られるといった黒歴史も生み出す。ただある意味ではここからようやく恋愛に対して向き合い始めたともいえる。18歳にして初めて恋愛に興味が出るという男子もなかなか珍しいものであろう。

その黒歴史の高校生活で最終的に恋愛という明確な基準が無い概念を理解するため様々な恋愛指南本を読み始めた。そこからそれらの指南本の元になっている心理学の勉強を始め、様々な本を読み進めていくうちにそこから深みにハマってフロイトの精神分析入門を読みだしたのが高校三年の秋だったと思う。そこまでいくと当初の目的をすっかり忘れていた。人間の深層心理、精神構造等に興味が出てきて特にリビドーが関係する犯罪心理に興味が湧き、猟奇殺人犯や異常犯罪の記録資料や分析を集めて読み始め、ますますモテからは遠ざかっていくのであった。「全ての犯罪行為は勃起をおさめるために行われる」などとのたまう高校男子に誰が惚れるかっていう…。そして灰色の高校生活を終えた自分はさらに灰色の、というか真っ黒の自衛隊生活へと突入していくこととなる。

 

恋愛事情:自衛隊遍

男社会、見渡しても見渡しても男だらけ。部活動中心の男社会からまた更に濃い男社会の自衛隊へ…。もともとモテなかったのに更に厳しい環境の自衛隊なんて入って自分はM(或はそっちのケがあるとか)なのではという突っ込みは今でも食らう。

結局いつまで経ってもモテとは無縁の生活であった。しかしこの時期、幸か不幸か先輩隊員に夜の街(キャバクラ的なお店的な何か)へ連れて行ってもらう機会がちょくちょくあった。それまでロクに女性と話すことすら無かった自分であったが、これが良い勉強というか練習にはなった。それまで女性と話す機会が年で数回あるか無いかの自分がようやく目をそらさずに女性と話せるようになったのだから大した進歩ではあった思う。

ただそれがいざ実践となっては上手くいかなかった。圧倒的に空気が読めない、外して場が白けるような発言をよくする。ってわけで当時同期の間で盛んであった合なコン的な催しでは全く成果は上がらなかった。(そもそも夜のお店の女の子というのはこちらがお金払っているわけなので一方的な男の会話を快く聞いてくれる。なのでそれをそのまま普通の女の子に当てはめて実践しても上手くいくわけがないのだ)この頃、岸田秀の「性的唯言論序説」や渋澤龍彦などの著書を読み始め、基準の無い曖昧の恋愛というものは共同幻想でしか無いという思想を持ち始め、それを盛んに論じるようになって益々恋愛からは遠ざかっていくのであった。

 

 

恋愛事情:大学遍

自衛隊を退隊して自分は東京の大学へ通うこととなった。夢にまで見た花のキャンパスライフである。ここで自分は大きくイメチェンを図る。髪を明るくし、ファッションを少し派手にして、ブランド物やごついシルバーアクセサリー、香水をつけるようになった。今から当時の写真を見てもこれは本当に自分かと思うような変わりようであった。実際、ファッションを変えると、まるで自分自身の本質すら変わったかのような錯覚を覚える。実際、歌舞伎町を歩いていてホストの勧誘にあったり、大学のコンパで女の子から声をかけてきたりして、更にアドレスを尋ねられたり等、今までずっとモテずにイケてなかった自分が嘘かと思うようなことが起きた。これにより根拠の無い自信がついてきた。

ファッションも相まってこれは大きな相乗効果を生み出した。女性は自信の無い男より自信のある男性を好む。調子にのった自分は六本木のクラブなどに繰り出して女性をナンパしてみたりする様になった。

でも結局、外見は変わっても本質はあまり変わってないのである。色々そこで知り合った女性たちとデートを何回かしてみたが全部上手くいかなかった。大雨が降る中、自分の話に夢中になりすぎて、野外の動物園で傘を差しながら延々と数時間も話し続けたり、或は恰好はばっちり決めていたのに帰って鏡を見てみたら鼻毛がもっさり出ていたり… まぁ結局中身が変わらないのに外見だけ変えても、いわゆる普通のモテキャラにはなれないと三年かかって悟ったのが大学時代でした。

そんなこんなを繰り返していたのだが、大学四年の夏頃、人生初の彼女がようやく出来た。この頃になると就活や、先述した経験があり派手なファッションから離れ、落ち着きを取り戻し始めていた。しかし反動で自衛隊時代に培った「恋愛共同幻想論」に拍車がかかっていた。ゼミの女の子や後輩にひたすら共同幻想論を語っては煙たがられていた。

だが、そこで真面目に話を聞いてくれる女の子がいた。それが大学の同じ学年のY子ちゃんであったのだ。その子は付き合う前のデートの時に延々と俺の語る「恋愛共同幻想」を二時間も神保町のカフェで聞いてくれた。ちなみに自分はY子ちゃんと大学一年の時、バイト先で知り合って、その当時に告白して一回玉砕している。一年くらい口を聞かない期間はあったものの三年時くらいで色々あって話すようになり、そこから急速に距離が縮まっていった。彼女は読書が好きなコで思想や心理学、社会学などに興味もっているコであったので自分の語る話が面白かったのであろう。相手の空気を読まずひたすら、心理学や共同幻想論を語る俺と聞き役に徹する彼女との相性は良かったのかもしれない。ただ如何せん俺は経験値不足であった。

Y子ちゃんを星空の荒川に連れ出して、二度目の告白をしてOKされ付き合いは始まったがものの、ひと月ほどで別れてしまった。原因は舞い上がり過ぎて冷静さを失っていた自分にある。用も無いのに電話やメールを頻繁にしたり、変に彼女に距離感を縮めるよう強制したり。今でも当時の発言を思いかえすと悶絶するほど恥ずかしい、ポエマー的な発言すらしていたし…。

それでひと月ほどして突然フラれた。あまりのショックでひと月は魂が抜けていてバイトもクビになったほどである。こんな痛すぎる失恋を引っ提げて俺は社会人となるのだが、こんな恋愛未熟な自分が次の恋愛でいきなり同棲を始めるとは俺ですら想像できなかった。

 

 

 

恋愛事情:社会人遍

社会人一年目は地獄であった。こんな自分が何故かゴリゴリのリア充集まる外資系製薬会社の営業になってしまったのだ。劇的に空気の読めない俺は隅っこで小さくなっているしか無かった。新人研修終わりにクラブ借りて、元DJの同期が仕切ってパーティ―するような連中とか、アホなんちゃうか。

 

研修が終わり、北関東の某所の営業所に配属になっても空気の読めない自分は営業の仕事が辛かった。卸に毎日毎日顔を出して関係性を作れと言われても、関係性ってどうやって作れば良いのか分からなかった。おまけに明確の基準の無いしきたり、マナー、礼などが全く理解出来ず、出来ない新入社員として徹底的に上司に目の敵にされた。で結局一年目が終わる前に限界がきて転職することになったのだが、その頃SNSの掲示板で知り合ったK子がたまたまウチに来ることになった。

俺もおかしいが、K子もちょっと変であった。当時転職と引っ越しで不安があり寂しかったのだろう、初めて顔を見るその子に俺は衝動的に付き合って欲しいと突然言った。驚いたことにK子はOKした。初めて出会った得体の知れないネットの男にである。俺も俺であるがK子も色々とおかしい。K子は音大出のフリーターで歳は俺の一つ下であった。そして俺は会社を辞めた無職。フリーターと無職が、家賃五万の2DKに住み始めたのだ。彼女の当時は月給10万程度の実家フリーター、俺は失業保険給付15万くらいの収入、かなりギリギリの生活である。いやぁ衝動的、先を読まないADHDとうものは勢いがすごい。

しかし結局K子とは約一年ほどで破たんした。原因は幾つかあるが、まず一つに自分が正規採用の仕事が決まった瞬間にK子がバイトを減らしたり、仕事をしない時間を徐々に増やしていき完全に自分に依存する体制になり始めたことである。おまけに家事もほとんどしなかった。それにイライラがたまっていたというのがある。ただ決定的であったのが、自分の物言いがストレートであり、また相手の言葉もストレートにしか受け取れないという所為もあった。行間の空気を読めない自分は相手の言葉の真意を読み損ね、結局別れる方向に行くしかなかったのだ。

 

ただこの経験はその後において大きな経験値となった。始めてまともな男女交際というものを実体験できたのだ。しかものっけから同棲というとても濃い経験である。ここでの得た知識や経験はその後の恋愛で大きな糧となった。

 

 

恋愛事情:現在

現在、同い年の女性と交際中である。出会いは、遊んでいた社会人グループの集まりに来ていた女性であった。都内国立大卒業、司法試験を通り、現在弁護士をしている才女である。

初デートは都内某所にある戦争博物館である。そこに展示されているゼロ戦、戦艦大和などを三時間ほど一方的に語り続けた。次のデートでは、サバイバルゲーム(エアーガンを使って遊ぶ戦争ゲーム的な遊び)のため千葉の山奥に連れていった。

この話を他の女性陣の話すとあり得ないと笑われるが、本人としては今まで経験したことないデートで非常に面白かったと言ってくれている。ただし当時はあまりに一般的な男女のデートでは無いため女性として思われてないのかと感じていたと後日、語ってくれた。

今のところは非常に上手くいっている。同棲までした前回。自分がどういうことをされた不快に思うのか、或はお互いの普段の距離感、喧嘩した時に仲直りの仕方。そういうものが前回、または前々回の恋愛で掴めたので、それなりのバランス感覚を保って付き合いを続けていけてる。ADHDは一回興味をもつととことんのめり込む。前回、前々回共にひたすら恋愛について恋愛漫画やドラマを見て研究したり、付き合ってた当時の失敗を思い返し、彼女は自分の発言のどこに怒りを覚えたのか、或はどう行動すれば良かったのか、そういった過去をひたすら分析し同じ轍を踏まないよう心掛けてもいる。またそれら分析の下地には過去にハマっていた心理学や精神分析などの知識が役に立っていたので黒歴史の過去も案外捨てたもんじゃないと今では思っている。

また彼女の仕事柄、会話は全てロジックで詰めてくるので空気を読む必要がなく、そこいらが苦手な自分としてはコミュニケーションが円滑にできて非常に助かっているという点もかなりある。

中学の時の部活の顧問が言っていたのだが、最大の効果を生むトレーニングは大会での試合(実戦)であると。練習はいくらやっても練習でしかない、本番の緊張感、実戦の試合展開、駆け引き、そういうものは実戦を何度も繰り返していかないと見身につかない。やはり考えているより、失敗しても良いから恋愛に実際ぶつかってみることこそが何より上手くいくコツであると思うのだ。そしてADHDの衝動性、勢いがあればそれが出来るのだと思う。

 

 

まとめ

今の彼女を誘ったデートがいわゆる一般的な男女交際のセオリーに乗っ取っているかと言われたそうではない。それは自分でも自覚している。

ではセオリー通りに行けばそれは上手くいったのであろうか? それは否。自分はADHDである。発覚する以前から自分の空気の読めなさ、衝動的、知識や興味の圧倒的な偏りを何となく自覚していた。(それがADHD由来であることは知らず)セオリー通りに恋愛を行おうとしてもいずれはボロが出るのである。

であれば、これはもう下手に世間一般のセオリーで行くより、自分らしさを100%発揮してぶつかるべきだと思うのだ。仮にそれを隠し、セオリー通りの恋愛パターンで女性を落としたとしても、いずれはボロが出て破たんする。なら最初からありのままを見せて認めてもらうしか無いと思うのだ。

そもそも一般的なセオリーとは何であろうか? よく考えて欲しいのだ。よく友人などに恋愛相談をすると「ふつうは○○だよ」とか「ふつうは○○しなきゃ」などと皆が口を揃えて言う。そういったデートパターンや女性へのアプローチの仕方、マナー等の世間の常識(だと思われている)と言われてるものは何が由来であるのか? それを考えた時、それって恐らくTVドラマやファッション雑誌に載っていたり、何となく周りの他の人たちもしてるから流れに沿って皆がやってる的な話でしか無いのだ。

結局それは皆の思い込みで存在しているのでしかない、確固たる理由があって存在するわけではないのだ。多数の思い込みによって存在する実態の無い概念。それを自分は共同幻想だと思っている。恋愛のセオリーなんてそんな共同幻想でしかないのだ。(恋愛そのものですら共同幻想であるという話はここでは長くなるので割愛)幻想は存在理由があやふやで皆の思い込みのみで成り立っているものだから。簡単に形を変えていく。100年前…いやわずか10年ほど前の恋愛セオリーだって今や古臭いって言われてバカにされているよね?そんなあやふやなものであるなら簡単に打ち壊すことが出来る。独創的で勢いとエネルギー溢れるADHDならばそれが可能であると思う。

 

自分は所謂、マニュアル的な恋愛に苦労してきた。ネットで見つけたデートの仕方だとか、メールのマナーだとか、そんなものは結局定型発達者用のものでしかない(それですら上手く行く可能性は高くない)そんなマニュアルに乗っ取って、極めて繊細な恋愛の舵取りをADHDの自分が出来るわけないのだ。

ありのままで行こう。最初は変わった人、だとか変な人、だとか笑われるかもしれないが、最終的に真摯な気持ちと熱心の気持ちがあればいずれは理解してもられると思う。

30年間、ADHD的気質に振り回され痛い恋愛を経験してきた自分だからこそ今言えるのだ。皆さんありのままで、勢いよくぶつかろう。怖がることはないんです。いずれ上手くいくようになるから。

 

 

 

 

この記事を書いた人

荒川 泰之
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