ADHDで名門進学校へ入ったら、みんな個性が爆発していた

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成人してから発覚した、いわゆる大人の発達障害というカテゴリーに分類される者です。 御多分に漏れず、様々な職を渡り歩き、そして数々の失敗をしております。が、何とか生きております。 ■人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない。肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないことだ。ロマン・ロラン

自分はADHDである。それが判明したのはつい最近のことである。つまり幼少期から成人に至るまで『ちょっと変わっている子供』程度の認識で見過ごされてそのまま成人してしまったのである。何故今まで見過ごされてしまったのかを考察するのは、別の機会にしますが、いま簡単に振り返ってみると、やはり田舎の公立学校特有のノンビリとした雰囲気があると思っています。

都会ほど受験競争も厳しくなく、勉強進度もゆったりとしている。人間関係も穏やかで保育園から一緒の友人がそのまま小中学校までほとんど変わらない、幼馴染たちとずーっと一緒に10年以上机を並べているような環境なのだ。特にストレスも感じず、グレる友人や虐め問題なども起きず、のほほんと十代前半まで学生生活を送ってきた。

そんなノンビリとした空気の田舎で小学校、中学校をのびのびと過ごさせてもらった結果、地方ではあるが一応『名門進学校』と名の付く高校へ入ってしまったのだ。

 

何故ADHDで名門進学校になど入れたのか?

もちろん、学校では注意力散漫でまともに授業など聞いたことは無い。ボーッとしているか、図書館で借りた本を読んでいるか、後は寝ているか。学校生活を送ってきて授業をまともに聞いた覚えは一切無い。当然、中学に入ってから授業の難易度が上がる毎に成績は少しづつ下がっていった。

ここで転機となったのは中学一年の最後の頃、一つの学習塾と巡り合ったことだ。そこは小さな個人塾で、アパートの一室でやっているような大きさであった。当然授業の人数も少ない。なので殆ど内容は個人指導に近いもので、先生は自分の性格、特徴をよく理解してくれて授業を行ってくれた。よそ見をしていればすぐ注意をしてくれるし、スイッチが入って過集中状態ならいつまでも放っておいてくれる。要は自分の個性に合わせた勉強方法で指導してくれたのだ。おかげで成績は向上し、何とか学年テストでも上位に入ることが出来たのだ。

 

 入学後、あっという間に劣等生

中学までの5教科型の勉強では、はっきり言って自己管理など必要無かった。普段の授業は寝るか遊んで過ごし、テスト期間だけ塾のアシストを受けつつ過集中状態に入り短期間勉強のみでテストを乗り切る、内容も範囲もそれほど広く無かった中学時代はそれで何とか乗り切れていた。

しかし高校になり、教科も増え、更に名門進学校という各中学校の成績トップが集まり受ける様な授業は、質、スピード共に高く、それまでノンビリ、マイペースで授業を受けていた自分が到底ついていけるはずもなかった。その上、授業科目が圧倒的に増えたのことが致命的であった。数学だけで二科目、国語も古典・漢文・現国の三つに分かれそれぞれにカリキュラムがある。理科も生物、化学、物理、地学…書き出すと未だに気が滅入る量であった。この科目数に加えて授業の質、進度による圧倒的勉強量。自己管理能力が人より圧倒的に劣る自分が音を上げるのに、そう時間はかからなかった。というより入学最初のテストから一切やる気は起きず、学年順位半分ほどから徐々に下がり続け、最終的には学年323人中320位という最底辺まで落ちていったのだった。

また順位が急落していったのにはもう一つ理由がある。それは『冷めた』からなのだ。中学校までは教育熱心な親や自身の負けず嫌いな性格もあり、割とテストの点数や順位に強い拘りがあった。特にクラス内で点数を競い合っていた仲間がおり、ただ単純に勝負事としてテスト勉強を捉え熱くなっていただけだったのだ。勤勉で真面目でテストの点数が良かったわけではない。その競い合っていた仲間も同じ高校には入ったが、クラスが別々になり、関係も少し疎遠になってしまったため、どこか勝負熱も冷めてしまい、そのため益々勉強へのモチベーションは薄くなっていったのだ。

 

名門進学校で学年一の問題児となってしまった自分

名門進学校で成績劣等生となった自分は教師からの風当たりが強かった。進学校はテストの点数、偏差値、進学率、その三つが最大の価値観である。それ以外の価値観など認めてくれなかった。当然、その三つの価値観にそぐわない自分への教師の対応は冷たかった。自業自得ではあるが、そのような対応を受け、感受性豊かで繊細な十代の年ごろの少年がまともでいられるはずもない。

学校に居場所が無くなった自分は分かり易い形で学校へ反抗のしていった。髪は脱色する、授業は遅刻する、上級生だろうが構わず喧嘩する、バイクは乗り回す、教師・生徒会(風紀委員)に反発する。そのうち深夜徘徊が始まり、バイクの免許を取りバイクで夜中に走り回るような毎日を過ごすようになった。家にも帰らず友人宅を泊り歩く日々が続いた時もあった。当然学校への出席率も悪くなり、昼頃起きてノソノソと学校へ行き弁当だけ食べて後は授業を寝て過ごす様な生活を続けていた。

 

問題児は何故か体育教師に好かれる。

校内の問題児や不良がスポーツに打ち込むことによって更生。そんなパターンのストーリーを漫画やドラマでよく見る、例を挙げればスクール・ウォーズやスラムダンクのようなドラマみたいなスポ根系だろうか、あの話はあながち作り話だけの世界ではないと思う。

成績最下位で成績会議の常習犯。おまけに高校二年の時点で停学2回を食らっており、バイク関連で警察に捕まりに親を呼ばれたこともある。そんな校内きっての問題児であった自分ではあるが、一つだけ特技があった。それは走ること、そして陸上部に所属して部活動だけは熱心であった。学校はさぼっても部活だけは通っていた。もちろん素行が悪くなり陸上競技の成績も落ちていたが、それでも定期的に走り続けていた。

そんな姿が体育教師には印象良く見えるのか、学校にいた3人の体育教師のうち二人にはよく可愛がってもらった。別に某ドラマのような熱血先生による厳しい指導や感動話はまるで無かったが、陸上部の監督や体育教師の優しく、そして時に厳しい励ましに随分救われたものであった。

ADHDの性格なのか、やはり一つの興味あることに絞って集中しすると劇的な力を発揮する。高校2年まで学校生活でくすぶっていた自分は、2度目の停学明けに陸上に専念することに決め、金髪だった頭を丸刈りにし、毎日徹底的な走り込みを続けた。そして3年の春の地区大会で優勝し、次の県大会では二位入賞という結果を出した。それまで茶髪で学校すらさぼっていた自分が自ら頭を丸めて、毎朝自主的に早朝から自主練を始め、部活動に真面目に打ち込み始めた姿は体育教師を喜ばせた。ただ相変わらず学業の成績は低空飛行のままであった。

 

卒業

入学してから、3年間の間。平均点以上の点数を取ったことは無い、それどころか現国以外は全て赤点まみれであった。それなのに留年はすることなく卒業は出来た。それは進学校であるため、出来の悪い生徒を留年させ後輩に悪影響を及ばせることを危惧し、それよりはさっさと放出してしまおうという方針であったことがひとえに大きい。普通の学校であったら間違いなく留年をしていてもおかしくない。

もちろんそんな成績では行き場などあるはずも無く、卒業してからは漏れなく予備校へと通う羽目になった。しかしそこで3教科に絞った私立型の受験勉強ではあったが、2か月ほどで模試の偏差値を40台から60台後半へと上げたことで周囲を驚かせた。当時、そのままの成績を維持し慶應大学にでも入っていれば自分もビリギャルみたいな有名人になれたのかもしれない。

しかし残念ながら自分は成績を上がったが大学に行く理由を見つけられず、結局自衛隊に入隊しパイロットを目指すという訳の分からない選択をして周囲を困惑させるのであった。それについての説明はここでは避けるが、一つだけ言わしてもらえば決して成績が悪かったわけでは無い。今から思えばまさにADHD的な衝動的、かつ非常識な行動だったと思う。

 

名門進学校の感想

自分のADHDという気質に進学校は合わなかった。圧倒的な量の勉強を計画的に、そして効率よくこなしていくような能力は自分には無かった。もっと自分の興味、関心を抱いたものやスポーツに熱中できるような環境、高専や工業高校、私立のスポーツ推薦枠などに進んでみても良かったかもしれない。

大人になってからWAIS-Ⅲ検査を受けて分かったことではあるが、得意とする能力、そうでは無い能力の差が開きすぎていた。得意とする能力については自分もかねてから薄々自覚をしていたものであった。もっと早くADHDであることに気付き、その方面の能力を伸ばし、そして活かせる道に進んでいたら名門進学校で腐って劣等生になることも無かったのかもしれない。

ただ、名門進学校に入ったことを後悔しているかと言えばそうでも無い。地方の名門進学校というものは実に多彩な人間が集まる場所でもあった。単にお勉強が出来る良い子という集まりでは無かった。当時、全国に一つしかない香道部を立ち上げニュースになった後輩、数学の偏差値で90という前例の無い数値をたたき出し教師を驚愕させた同級生、売店が無くお昼事情の悪い校内の状況を鑑みて市内の商店と交渉し売店を出店させた行動力ある友人、かと思えば文化祭やら卒業式の後にはほとんどの部や委員会が打ち上げで教師・警察の目をかいくぐって酒盛りを必ずやり遂げる逞しさ、そういった意味では普通の高校で味わえないような刺激が幾つもあった。そういった経験に三年間で触れ合えたのは貴重な経験であった。

 

進学校の発達障害の比率

そしてこれは今から思えばではあるが、発達障害であろう個の強い生徒が自分を含め学内に少なからず存在していたことである。例えば高校三年間で決してヒゲを剃らず、また真冬であろうが真夏であろうがサンダル履き、ハーフパンツという恰好にこだわりを持ち続け決してその恰好を崩さない先輩がいた。ただその先輩は頭脳は優秀で学内トップの成績を維持し続け、塾や予備校も通わず京大にストレートで合格していった。(余談ではあるが、その先輩は大学卒業時、成績の優秀さから某省庁より直々に勧誘があったとのことである)今から思えばギフテッド系の方だったのかもしれない。

他にも頑なに携帯電話を持たずトランシーバーで親と交信する人、親と喧嘩して衝動的に飛び出しママチャリで長野から沖縄まで逃走した同級生、留年し続けて高校在学中にすでに二十歳だった同級生など…。何と言えば良いか、個性の強い人の宝庫であった。恐らく発達障害系(と思われる)の仲間が他の高校より比較的高く、自分の特性もさほど目立たずに居心地は悪くなかった様にも思えるのだ。この点が他の進学校にも見られる普遍的な特徴であるのかは正直なところ不明であるのだが、某ブログにて進学校は生徒も教師もASDばかりという記事を読んだことがある。それ故にそう感じているのは自分だけでは無いはずであろう。

進学校の生徒は発達障害の比率が他と比べて高いという話は割と信ぴょう性がある話なのかもしれない。実際にうちの高校は周囲から奇人、変人が集まる学校として有名であった。かつて松本サリン事件という大きな事件が地元で起きた時、うちの高校の化学教師が真っ先に疑われたなんて話もあるくらいなのである。

自分ももしかしたらこの高校のおかげで救われていた部分はあるのかもしれない。校則が厳しい様な私立高校で自分の個を否定され皆横並び的校風で学校生活を送っていたら自分の様な人間は卒業すら出来なかった可能性が高い気がするのだ。その後、彼らどうしているかと言われたら全てを追えているわけでは無いが…、先の京大ストレート合格した先輩は医療系の資格を取り研究職で働いているとの話である。他にも疑いのありそうな人の一人で数学の研究者になったという話もある。ママチャリで沖縄に逃走した彼はそのまま沖縄が気に入り、高校卒業後に沖縄の大学に進学しそのまま現地に住み着いたと聞く。みんな割と普通に(?)社会生活を送れているようではある。

 

ADHDの自分にとっての進学校とは

自分にとっては後悔もある。勉強についていけなくなり、生活が色々荒れてしまったり、教師から冷たい仕打ちを食らったりもした。しかし居心地の良さがあったのもまた一つの事実である。そしてそれは自分がいま思い返して感じている『発達障害の比率の高さ』故なのかもしれない。また仮に発達障害で無かったとしても非常に個の強い人種の宝庫であった。何せ近隣の中学校の成績トップの連中が集まってくるのだ。皆それなりに頭脳には自信があり、そして能力的にも平均値以上の連中だ。要は皆何かしら標準値から外れているという見方もある。

その中では個の強いADHDの自分を含む発達障害の人も他の場所より溶け込み易かったのではないかと思う。また仮に、進学校で自らの個の強さを『見つけ』そして『肯定』することが出来たなら、それを徹底的に磨き上げ、そして昇華させるためのチャンスが豊富であるという事実もある。何故なら進学校は設備や教師、また友人たちも優秀な人が多いから、鍛えようとした時には理想的な環境であるからだ。自分は残念ながらADHDであることに気付いたのが成人してからだったので、それは適わなかった。もしあの時自分の個の強さに気付き磨きあげることが出来たなら今とはまた違った人生があったのかもしれない。

そんなわけで自分は発達障害(ADHDを含む)の中学生の皆さんに言っておきたい。もし進学を考えていて、そしてその実力があるならば進学校を選んでみては如何だろうか?特に伝統のある名門校と言われる高校は個性豊かで、圧倒的に優秀でぶっ飛んだ学生の宝庫である(ラ・サール、麻布高校の友人エビデンス有り)。

普通高校に通い大人しく無難に過ごすより、成績が振るわずとも、そんな環境で十代を刺激的に過ごし、個性的な友人たちと知り合うことの方が貴方の人生にとって貴重だと思うのだ。そしてその経験は将来きっと大きな宝になる。少なくとも自分はそうであるから

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成人してから発覚した、いわゆる大人の発達障害というカテゴリーに分類される者です。

御多分に漏れず、様々な職を渡り歩き、そして数々の失敗をしております。が、何とか生きております。

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