30歳になるまでに3回転職したADHDの自分が、己の過去とこれからについて考えてみた

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成人してから発覚した、いわゆる大人の発達障害というカテゴリーに分類される者です。 御多分に漏れず、様々な職を渡り歩き、そして数々の失敗をしております。が、何とか生きております。 ■人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない。肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないことだ。ロマン・ロラン

30歳、男、転職3回、経験した仕事先4社

一社目、海上自衛隊

二社目、外資系製薬会社

三社目、臨床試験の受託会社

四社目、医療器械の専門商社

現在はこの四度目の会社で仕事をしております。

それぞれで失敗を繰り返し、今現在の会社に落ち着いております。が、恐らくここもいつまでいるかは分かりません。自分がどうしてこれらの会社を辞めることになっていったかということについてそれぞれ検証していきたいと思います。

 

自衛隊の場合

・組織の規律、団体行動に合わすことが出来ない。この一言に尽きるでしょう。自衛隊に入って一年目の仕事は靴磨きとプレス(制服のアイロンがけ)とベットメイキングと言われているくらいに身だしなみと整理整頓の徹底を指導されます。が、これが驚くほど出来ないわけです。

非常に不器用なので、他の同期の皆が数分で制服のアイロンがけを終わらせていくものが30分かけても綺麗に出来ない。ベットメイキングも一生懸命やってはいるのですが、どうも他に比べるとダメみたいでしょっちゅう怒られていました。居室の整理もいまいち苦手で、いつも大ざっぱ過ぎると怒られておりました。行進訓練なども周りの動きに合わせて歩調を合わせたり、腕の振りを合わせたりするのが難しく、どう一生懸命やっても人とずれてしまうのです。

結果、自分が原因で小隊単位、或は同期全体で連帯責任を取らされる。こういうことが続くと集団生活を送る上で同期内での居心地が悪くなっていきます。ちょうどフルメタルジャケットという映画に出てくる「ほほ笑みデブ」と呼ばれていた登場人物に近い状況です。自分も射撃は割と得意でした。他にもマラソン、水泳などでは同期トップになるくらい体力面では優秀でした。しかし他の面で不器用過ぎて足を引っ張りダメ自衛官の烙印を押されていました。イジメなどは受けなかったですが、居心地の面や将来への不安、また自分の適正試験の結果等から退職を決意して大学を目指すことにしました。

 

外資系製薬会社の場合

・前回の記事をご参照下さい。ADHDの26歳男性が外資系製薬会社に入った結果

 

臨床試験受託会社の場合

・自衛隊、外資系製薬会社と経験し、自分はどうも大きい組織で生き辛さを感じる。規律や管理の厳しい組織で動かされることを苦手とすることが何となくですが、理解してきました。他にも対人コミュニケーションにおいては常識的など空気を感じる力が弱いことも。当時はADHDであることを理解しておらず、性格、人格の問題だと思っていました。とりあえず、その自分の特徴を踏まえ製薬会社の後の後に選んだ仕事は臨床試験の受託会社でした。

・ここでの仕事はADHDの自分にとってかなりやり易かったです。まず少人数であること、これが何より一番でした。大人数(5000~数万人単位)の組織であると、どうしても社員管理がシステマチックになりがちです。期限内に出す書類、一言一句間違えられない定型文の書類、一挙手一投足まで行動を管理するようなツール、それら全て、ミスがある度にいちいち評価や査定に影響してくるのです。その息苦しさはADHDの自分にとってかなりこたえました。反面、小規模の会社では、問題は多々あるものの、非常に緩い管理下で、多少のミスを犯しても訂正して謝るだけで後は不問、そういった環境はADHDの自分に過ごし易い環境でした。

・仕事に関しては試験がスケジュールに沿って進むよう管理することが主な業務でした。具体的には被験者の個人データーの入力、試験関係者用の資料作成と送付、試験施設と医療関係者との調整などです。実際に病院に入り試験を手伝うこともありました。自分のいた課は実質4名ほどの小さなチームでデスクに席を並べて仕事をしていました。また年齢も皆一緒で、割と連帯感もあり、雑談を含めた仕事の会話も多く仕事関連で特に問題はおきませんでした。外回りオンリーの営業と違い、机に座ったまま仕事に没頭できるので付箋を貼ったり試験のスケジュールを張り付けで常に目に入るよう注意し、仕事で抜けが無いように、或は物忘れや締切日に関してミスを起こさないよう常に意識付けが出来たという点も大きかったと思います。

ここでの仕事は非常に性にあっていました。激務というわけでも無いので、仕事に関しては何回もチェックを繰り返すことが可能だったので、重大なミスを起こすような事態は防げていました。デスクワークのみで仕事が単調になったりするということもなく、病院回りなど適度に外回りもあったので仕事に変化があり、飽きることもありませんでした。適度な余裕を持ちつつ、内勤と外勤のバランスが取れている。自分との相性が非常に良かったのですが、残念ながらここは廃業の憂き目にあってしまい次の仕事を探す羽目となってしまいました。

 

医療器械の専門商社

・前職廃業の為、その間紆余曲折しながら(一時派遣で外資製薬企業に営業職で働いていたこともあります)現在の職に落ち着きます。ここも小規模の会社ではありましたが、ただ前職とは違っていました。仕事にマニュアルも無く、多忙な現場に突然放り込まれて『勝手に覚えろ』といったスタンスでした。とりあえず何も分からないまま放り出されて必死になりながら何とか覚えていったものの、理不尽な上司の扱いに鬱憤が溜まり、最後には筋の通っていない上司の指示の出し方にとうとう我慢の限界がきてしまい辞表叩きつけてしまいました。ただその辞表を社長にいったん止められ、他部署で再起を図るよう説得されたのでもう一度やり直すことになりました。

その部署での仕事は病院での自社製品を使う手術に立ち合い、そこで使用される器械の使用方法について医師や看護師のフォローをすることでした。器械操作のマニュアル自体は難しく無く、大体の使い方は覚えたのですが、一つ一つの道具に医師それぞれの独特な使い方があり、それを見ながら適宜フォローをしていく、またその際も医師の顔色を伺い、周りの空気を読まなくてはなりません。その判断の仕方がどうしても理解出来ず、ズレことを繰り返してしまう自分は何度手術の立ち会いを経験しても満足にこなすことが出来ませんでした。

丁度この頃、突発的に上司に辞表を出してしまった自分の衝動性、また提出物をいつもギリギリに提出するようなスケジュール管理能力の低さ、上司から指摘されていた自己管理能力の問題などに疑問を抱き始め、そして最終的には友人からの勧めもあり、心療内科でADHDの診断をしてもらうことになりました。結果が出るのにひと月ほどかかりましたが、幾つか検査と問診を受けた後に医師からADHDであると告げられました。その際に合わせてWAISⅢ検査の結果も伝えられ、言語性能力が高い割に動作性能力低いこと、また下位検査の項目も非常にバラつきが大きく、得意な能力と不得意な能力に大きな差があること等を教えて頂きました。

その話を踏まえると恐らく、今現在のオペの立ち合いにおいて、命に関わる仕事を自分の能力で遂行することは難しいのではと考えるようになりました。場の空気を判断することも出来ず、過集中に陥ると周りが見えなくなってしまい手術スタッフの邪魔をしてしまうこともある。また特に器械操作の手順が自分の知っている方法ではない医師による独自の手順で使用されていると、混乱してしまい使用手順をどう伝えて良いか分からなくなってしまうことなど。恐らく自分の能力はオペの立ち合いに不適切なのかもしれない。そう考えた自分は診断書を携え、上司に相談することにしました。

そして職場内でまた異動をすることになりました。最初の頃は営業事務のポジションがあてがわれたのですが、仕事は殆どありません。自分の得意能力、不得意な能力の差が大きいことは伝えたのですが、やはり上司には発達障害のことがいまいち理解出来ていないようで、意味の分からない指示を受け続けながらしばらく仕事の無い部署で悶々と過ごす羽目になりました。今現在は所属を総務に移し会社の品質保証関連の仕事を担当しています。内容は官庁の最新マニュアルにそった内容で過去の書類を整備する仕事でずっとPCとWordとにらめっこの仕事です。こちらの方が、人の顔色を読んだりすることなく、またやることが毎回毎回同じ、イレギュラーなパターンは滅多に起こりえないので仕事自体は非常に進め易いです。

 

これまでを踏まえて、そしてこれからをどう生きていくか。

これまでの仕事の経験を踏まえ感じること。それは自分は刺激が多いような環境、特にずっと外勤が続く営業の仕事は不得意であるということが一つ言えると思います。集中するまでに時間がかり、またその切り替えが下手な自分は外勤をしながら空き時間に事務系の仕事に集中することが非常に下手でした。それ故、スケジュールの管理不足、連絡ミス、などが多く起こってしまったと思います。

また空気を読むことが苦手で人の顔色を伺いながら行うタイプの営業(特にヒエラルヒーがはっきりと分かれている医療分野)は特に難しいのだと思います。空気などを読む能力が仕事の全てを占めるとまでは言いませんが、この能力が無いとこのタイプの営業はかなり進めにくいと思います。製薬会社営業や医療器械営業のように呼ばれても無いのに医療機関に入りこみ、医師の機嫌や顔色、タイミングを読みながら話しかけて気に入られていくというスタイルの営業は相手の表情、雰囲気が読めない自分はとっかかりを見つけ辛く、そのノウハウを幾ら教えられても理解することが出来ませんでした。とは言え対人関連の仕が全くダメという訳ではなく、臨床試験の仕事時においては互いに明確な用があり医療機関に出向いたり、或は面会を申し込み医師と会う様な仕事は問題無く普通にこなせていました。

また自分の場合、過集中状態に入ったらそれを放っておいても問題ない仕事(データー入力、資料作成、書類整備等)とは非常に相性が良かったと思います。集中し始めるのに時間はかかるのですが、いったん入り込むと飲食、トイレや周りの会話すら聞こえず、電話がかかっていることすら気づかない時もあるくらいに集中します。オペ室の器械操作補助の場合には不都合な能力ですが、PCとずっと向かい合っている仕事ではあまり問題は起きておりません。むしろ過集中状態に入ると今まで気づかれていなかった書類の不備などを見つけ出し、整備すると同時に修正もしていくので、割と評価は受けております。

最後に、これが一番問題なのですが自分の感情をコントロールが上手く出来ないため、我慢しようとしていても表情に出てしまう。特に理不尽な扱いを受けたり、納得がいかないことがあると上司であろうが真向からぶつかってしまうこともある。何度も反省はしているのですが、この衝動性のコントロールが難しく、なかなか直すことは難しいのかもしれません。

 

ここまでの話を踏まえて、これからのことも考える

3回の会社経験、これをマイナスと捉えてしまうのも良いですが、別の側面から見ればこの経験で自分の得意不得意な能力を洗い出すことが出来たとも言えます。強く自分で自覚しているだけで

・人の空気、顔色を読むことが出来ない

・過集中状態で行う作業に定評あり

・することがハッキリとしている仕事は得意

・外勤しながら外での事務作業は苦手。

・衝動的に感情が表に出てしまう。

が挙げられます。今現在の仕事は非常に自分マッチングしている方であると思っています。確かに一人完結型の仕事ですし、PCに向かい合い、過集中状態のまま殆ど誰とも話さないまま一日が終わることもあります。気楽ではありますが、しかしどことなくエネルギーを持て余し、不完全燃焼感を抱いてもいます。

ここまで生きてきて思うことは、自分は型にハマることが出来ない、そしてそれを自分でも良しとしない性格であること。学生時代から教師や親の言うことを聞かず自由気ままにやってきて結果を出してきました。部活動でも勉強でもです。能力にバラつきがあり過ぎて他人と感覚が色々違い過ぎるのか、アドバイスをもらってもそれが自分には当てはまらないことの方が多いのです。恐らく自分は自分の感覚ややり方を信じて進んだ方が良い結果が出るのかもしれません。

今のところ受け持っている仕事が自分にとって割と向いている業務内容だと思いつつも、いまいちエネルギーを持て余していて、もっと他にも出来ることがあるのではと不完全燃焼感を抱いています。ただそれは完全に自分と合う仕事を既存の業務の中から見つけるよりは自分で自分に合う仕事を自ら造り出すほうが手っ取り早くも思え、またその方が自分にとって生き易く、またやり甲斐もあるのだろうと思っています。

今はこの持て余している熱量を他にぶつけようと、異業種交流会や様々なイベントや勉強会に参加し話術を鍛えたり、交友関係を広げるなどしております。その中で色々と刺激を受けながら思い立った企画を実際に実行してみたり、そして失敗をしたり、それを繰り返しながら試行錯誤している最中であります。最終的には一人の力でお金を稼げるような個人事業主を目指すことを決め、今はその道を模索しています。

ADHDの個性は定型発達の方が多くを占める組織内で生きるにはいささか不便であるように思います。実際自分はそうでした。ただ中には割と親和性がある仕事や業務もあり、そういったものに巡り合えた場合は会社に上手く適合することも可能だと思います。自分は今まで4社を経験してきてそんなことを感じました。よく年配の方は石の上にも三年、最低でも同じ会社で三年は続けろと仰りますが、自分の能力と合わない仕事を続け神経や時間を擦り減らしていくよりは、幾つも仕事を経験しながら自分に出来ることを探すのも一つの道だと思います。そうして見えてくることもあるはずです。自分も4社も経験してきましたが、個人事業主を目指すという目標を見つけられたことには大きな価値があったと思います。

 

最後に

何回だって仕事を変えても良いと思います。複数の会社を経験していても良いと思います。その仕事が本当に辛いのであれば変えても大丈夫です。何回か変えていくうちに自分に合った仕事が見つかる日も来るかもしれません。また幾つも職を転々としたその経験をマイナスにするかプラスにするかも自分次第だと思います。モノの価値観は切り口次第で如何様にも捉えられます。自分の場合は転職を繰り返してきた期間は自分がADHDであることを発見するまでの重要な過程であり、また自分の出来ること出来ないことをはっきりと自覚するための必要な経験であったと思います。そのおかげで今後どう生きていくための方向が定まってきました。世間や人の目なんて気にせず思う通りに生きていけばよいのだと自分は思います。結局、自分のことは自分にしか分からないのですから。

この記事を書いた人

d_sakag
成人してから発覚した、いわゆる大人の発達障害というカテゴリーに分類される者です。

御多分に漏れず、様々な職を渡り歩き、そして数々の失敗をしております。が、何とか生きております。

■人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない。肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないことだ。ロマン・ロラン