生きづらさは、宿命だった。診断を受けてから一変した私の人生観


今回初めての投稿をさせていただきます、茨城県の31歳、やっちんと申します。
精神手帳3級を交付されている発達障害の当事者です。

私の略歴を紹介しますと、1984年東京都足立区出身。
都立工業高校を卒業後に民間企業、警視庁警察官、家電分野の派遣社員などを経験し、現在に至っています。

子供の頃から現在まであらゆる場面で感じていたことは、集団の中で自然と孤立していく自分であったり、仕事を教わるときの異様な不器用さ、逆に決めた目標への執念深さやIT機器との親和性などです。

学校でも社会に出てからも悩まされ続けたこれらの特性はマイナスの評価を受けることはあってもプラスに評価されたことはまずなく、常に矯正を求められていました。

しかし、転職の失敗が原因で精神的な疲弊が積み重なり、足を運んだ心療内科で高機能自閉症の診断を受けたことで、自分の持つ奇妙な特性が先天性のアスペルガーによるものだったと、人生で初めて知ることとなりました。

2013年3月。既に結婚もした、社会人10年目の春のことでした。

長年私が周りと異なる感覚を持ちながらそれを欠点としか捉えることができなかったのは、全員が同じでなければならない日本社会の暗黙の価値観と、両親や周囲の大人に「身内が障害持ちである」という現実を認めたくない意識が潜在していたのではないかと、ごく近年になってから感じ始めています。

同時に、自分と同じ生きづらさを感じながらその原因に気づけない人々も、この社会に相当数暮らしていることも知るきっかけになりました。

幼少期から十代にかけて自分はあまりに多くの機会を失ったまま社会に出てしまい、休みに友人と遊びに出かけるといった程度の、生きていれば普通に出会えるはずの幸せや楽しみさえ感じたことがありません。

しかし、それらは発達障害を持っていることが直接の原因ではないと考えています。
本人や家族に気付きがあるかどうかです。
私の場合、出来るものよりも出来ない能力ばかりを指摘され成績をつけられたり、両親が決めた習い事を一方的に勧められるといった否定の記憶が根強く残っており、自発的な希望は叶わないままでした。

当時は言うことを聞かないだけのわがままと思われていたことでしょうが、大人になって役に立った事というのは大部分が自ら知りたいと願い、身につけた知識や能力でした。

この記事を自ら調べ、見つけて下さった方には、おそらく私と共通する経験が少なくないことと思います。
発達障害の当事者として希望を持って生きるためには、適性のはまる職場を見つけ、いかに自分のやりたい仕事を掴めるかということにかかっています

これまでアドバイスをいただいた方の言葉によれば、生まれついた性質を努力で矯正することは不可能だとも聞かされています。
苦痛に耐えながら向かない仕事を選ぶより、周囲の手を借りてでも自分の能力を引き出せる環境を求めて下さい
(もちろん、誰にも負けない根気を見せることが前提で。)
私も今道半ばですが、偏った能力を持っている方ほどその可能性を目覚めさせてほしいと、心から感じています。
社会に、追い風は吹きつつあります。

text by やっちん