発達障害の私が自立を獲得するまで(2)

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aspeman

1989年、広島に生まれる。 理系大学に進学するも、文筆家を志すようになる。 在学中より定期刊行物への投稿を始める。 卒業後は毎月1本の連載を抱えるも、発達障害のためにアルバイトを転々とする。 経済困難による自殺未遂なども経験しながら文章の道を求め、現在では文章一本での生活を確立している
This entry is part 2 of 6 in the series 発達障がいの私が自立を獲得するまで

新しいアルバイトを始めるが…

肥料会社のアルバイトを首になったあとはリゾートホテルでアルバイトをしました。このアルバイトでは当然宿泊客の応対をしなければならないのですが、対人コミュニケーションがあまり上手でない私にとって、このアルバイトは仕事内容に難しいことがほとんどなかったにもかかわらず長続きするものではありませんでした。そのホテルは遊園地に隣接するリゾートホテルで、宿泊客にはホテルにチェックインする際に遊園地の入園券が渡されます。入園券は当日限り有効であるため、日付のスタンプが押されるのですが、これは私の仕事でした。私は押すべき日付を間違えて100枚以上もの入園券を発行して宿泊客に配布し、それによって客が入園できないという大混乱を招く事となりました。これが原因で首になりましたが、注意欠陥障害から来る注意力のなさが引き起こした問題でした。

続いて勤めたのがビジネスホテルの夜勤でした。これはネットで調べた結果、ホテルの夜勤のアルバイトは宿泊客が寝ている間での仕事になるため、ほとんど接客をしなくていいばかりか、非常に楽なバイトであるという情報を得たからでした。しかし実際には朝になるとチェックアウトの宿泊客の応対があり、これが非常に忙しいものでした。

発達障害の人にとって、忙しい環境というのは非常に苦痛なものです。次々にやるべき事が現れ、ときには複数の事を同時にこなしていく必要がありますが、発達障害の人は目の前のひとつのことしかこなせないため、なにもできなくなり、パニックに陥ってしまいます。

ビジネスホテルの夜勤を始めて1ヶ月くらいが経った頃、朝のチェックアウトに忙殺されていたとき受付の電話がなりました。宿泊の予約の電話であり、その電話は私が応対したとの事なのですが、私はそのことが全く記憶になく、当然宿泊の予約も入れていませんでした。そして予約した宿泊客が来たときに予約は入っていなかったものですから、宿泊客はカンカンに怒ってしまいました。私は電話対応をした記憶が全くなかったのですが、朝のチェックアウトに対応していたのは私の女性スタッフの二人であり、その宿泊客が言うには男性スタッフの対応を受けたとの事から確かに私が対応したという事がわかりました。

三度目の首

それまでも様々な小さなミスを積み重ねていたため、そのミスが決定的なものとなり、私はビジネスホテルも首になりました。

このときと同様に、忙しさに捉われているときに起こった出来事を覚えていない事がたまにあります。また、自分が言った事や聞いたことを忘れていることもしばしばなので、これには毎回とても困ります。これも発達障害の症状の一つであると思われます。

ビジネスホテルを首になるまでに、いくつかのアルバイトを首になった私は、アルバイトさえもまともに勤まらない事に大きな不安を抱きました。仕事がこんなに出来ないのはなぜだろうと思い、ネットで色々なことを調べているうちに、発達障害に行き着きました。症状を調べてみると、思い当たる事が多く、もしかしたら自分は発達障害なのではないか、と思い始めるようになりました。

発達障害の専門医は少ないことが一つの問題となっていますが、発達障害者支援センターなどに問い合わせて調べたところ、幸いにも隣町の病院の心療内科に、発達障害の専門医がいることが分かりました。さっそく受信することにしました。

ADHDとアスペルガー症候群と説明された

最初は先生のカウンセリングを受け、なぜ自分の発達障害を疑うようになったか、アルバイト中の失敗談や、これまでの人生の中で思い当たる事を何でも話しました。すると、

「ADHDにアスペルガー症候群のテイストがあるね」

といわれました。

そして2回目の受診の際に、知能テストを受けました。あまり記憶には残っていませんが、いくつかの問診の後にテストを行いました。絵をみて間違い探しをするテスト、先生の言う数字の列を復唱するテスト、言葉を投げかけられその言葉の意味を答えるテストなどがあったのを覚えています。

その結果、紛れもなくADHDとアスペルガー症候群である事を診断されました。正直なところ、ほっとしました。自分がなぜ仕事が出来ないのかという疑問が解け、自分は出来なくてもしかたがなかったのだ、不真面目さや頑張りが足りないことから失敗してきたのではなかったのだ、ということが分かった事で、大きな安心が得られたのでした。

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1989年、広島に生まれる。
理系大学に進学するも、文筆家を志すようになる。
在学中より定期刊行物への投稿を始める。
卒業後は毎月1本の連載を抱えるも、発達障害のためにアルバイトを転々とする。
経済困難による自殺未遂なども経験しながら文章の道を求め、現在では文章一本での生活を確立している