発達障害の私が自立を獲得するまで(5)

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aspeman

1989年、広島に生まれる。 理系大学に進学するも、文筆家を志すようになる。 在学中より定期刊行物への投稿を始める。 卒業後は毎月1本の連載を抱えるも、発達障害のためにアルバイトを転々とする。 経済困難による自殺未遂なども経験しながら文章の道を求め、現在では文章一本での生活を確立している
This entry is part 5 of 6 in the series 発達障がいの私が自立を獲得するまで

発達障害の厄介なところは、発達障害そのものの症状もさることながら、その症状を抱えることによって社会的不適合が生じ、そこから辛さや生きにくさを感じて悩み、うつ病などの二次障害を抱えるということです。

私の場合は発達障害によって社会に出て働く事ができず、それならばと完全在宅で社会との接点を縮小した上で生活を送ることとした結果、在宅で生きていくための生業とした文筆が上手くいかずに悩みを抱えました。そしてうつ病になったのです。これも二次障害といえるでしょう。

もともと明るい性格である私は、それまではうつ病という病気を見ていました。気持ちの問題だろう、というくらいにしか考えていませんでしたが、当時者になってみるとその辛さがよく分かりました。無気力で全く仕事など手につかず、気分の切替もできず、切り替えようという気分さえ起こらないのです。仕事が手につかなければ生活していくことはできませんが、そのときは死ねばいいか、と全てに諦めきってしまいました。

うつ病。そして、パニック障がい

うつ病のときにはやる気が起きず、なにもできません。なにもしていませんから、四六時中頭の中ではマイナスのことばかり考えており、そのうち自己否定が積み重なってきます。ついにはこれからの人生でこのような苦しさを味わい続けるくらいなら死んだほうがマシだと思うようになりました。ここで止まればいいのですが、私は「よし死ぬか」と思いました。

土間の梁にコタツのコードをかけて輪を作り、準備を整えました。そして首を吊りました。首を吊るという方法を選んだ理由は、それが最も楽な方法だと知っていたからです。首を吊ると脳は快楽ホルモンを分泌し、気持ちよささえ感じるといいます。しかし実際には吊った瞬間に意識がなくなり、気持ちよさなどは感じませんでした。

そのときには幸か不幸か、コードが解けて下におちました。意識を失っていたので何秒後の事かは分かりませんでした。落ちて意識を取り戻した直後は脳が機能せず、酷く酔っ払ったような感覚がして、なぜ自分は土間にいるのか分かりませんでした。やがて自殺は未遂に終った事をしりました。

死ねなかったことで、また再出発をしようという気分が少し起きて現実と向かい始めたのですが、うつ病の間仕事をしていなかったという現実と向かい合ったとき、全く収入が足りておらず、経済困難が酷くなっていることを知りました。このころには借金もかさんでおり、その返済もあって生活は益々苦しくなりました。

あるとき、支出を紙に書き出して支払いのための費用をどうするか考えていたとき、どうしようもないという思いから酷い焦燥感を抱えました。焦燥感から過呼吸になり、とりあえず落ち着こうと思って寝転がると手足が全く動かなくなってしまいました。初めての体験でした。その症状自体は小一時間ほどで治まったのですが、症状を調べてみるとパニック障害であることが分かりました。二次障害にとどまらず、三次障害まで起してしまったのでした。

パニック障害もなかなか厄介な病気で、突然襲ってくるのです。襲ってくると呼吸が苦しくなって頭が働かなくなり、手足の麻痺が起こります。そして症状がクセになるため、それからというもの少し不安を抱えるとすぐにパニックの症状に陥るようになりました。

パニック障害まで併発した私は人生がどんどん転落していくことに恐怖さえ覚えました。悪くなる一方で、もはや手も足もでない状況になるのも時間の問題だなどと考え、やはりこれ以上の辛さ味わうくらいならば死んだほうがいいと考えました。

二度目の自殺未遂

そして二回目の自殺に踏み切りました。そのときも土間で、コタツのコードを使っての首吊りでした。意識はすぐに飛び、しかもこのときには紐も解ける事はありませんでした。しかし、途中で首を吊った状態で意識が戻りました。このときは辛かったです。

そのときのことは妙に鮮明に覚えています。首を吊った状態であることがわからず、ただ視力が働いていました。目の前はぐるぐると回って、耳が酷く痛く、手足にも激痛が走っていました。私は「ベッドで寝たていて目が覚めた、しかし手足が動かない、金縛りだ」と勘違いをしました。しかもなぜか友人の家で寝ているという勘違いをしており、金縛りにしては痛みが酷いので、なにか変な病気ではないかと思い、助けを求めました。「たすけて」と声を出そうとしたのですが、当然首を吊った状態なので声は出ません。何とかしなければと痛みをこらえながら手足を動かそうとしていると、足の一部に椅子が当たりました。首を吊る前に立っていた椅子です。このとき、「ああ、自分は首を吊ったのだ」という事を思い出し、力を振り絞って椅子に着地しました。そして首から輪をはずし、土間に隣接する風呂場に倒れこみました。椅子に着地してから風呂場で倒れこむまで、ほぼ無意識に本能がそうさせたという感じです。倒れこむと、呼吸を荒げながら、ただ手足の痺れと痛みに耐えました。痛みは長く続いたように覚えています。動く事ができず、30分か1時間か分かりませんが、倒れこんだまま情けなさに涙しました。

 

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この記事を書いた人

aspeman編集者
1989年、広島に生まれる。
理系大学に進学するも、文筆家を志すようになる。
在学中より定期刊行物への投稿を始める。
卒業後は毎月1本の連載を抱えるも、発達障害のためにアルバイトを転々とする。
経済困難による自殺未遂なども経験しながら文章の道を求め、現在では文章一本での生活を確立している