発達障害の私が自立を獲得するまで(6)

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aspeman

1989年、広島に生まれる。 理系大学に進学するも、文筆家を志すようになる。 在学中より定期刊行物への投稿を始める。 卒業後は毎月1本の連載を抱えるも、発達障害のためにアルバイトを転々とする。 経済困難による自殺未遂なども経験しながら文章の道を求め、現在では文章一本での生活を確立している
This entry is part 6 of 6 in the series 発達障がいの私が自立を獲得するまで

二度の自殺未遂を犯した後、どこか悟ったようなところがありました。悟ったなどといえば大げさで、腹をくくったといったほうが適切かもしれません。

私は自殺を否定しません。多くの人が自殺は馬鹿げているといいます。もっともな意見でしょう。しかしなんらかの理由によって自殺するまでに追い込まれている人に対して、自殺は馬鹿げている、生きていればいいことがある、必ず立ち直れるなどということは余りにも無責任な言葉だと思うからです。自殺に踏み切ろうとしている当事者からすれば、その瞬間における最善の選択は自殺なのです。なぜならばそれ以外を考える事にすら苦悩を感じているからです。

したがって自殺しようとする人にとってはその場で死んでしまう事は決して悪い事ではないのです。それ以降に楽しい事が待っているかどうかなどは誰にも判ることではありませんし、「生きていればきっといいことがある」などというのは妄言ではないでしょうか。何を根拠にそんなことを言っているのか、と思います。自殺に追い込んでいる状況は今以上に悪くなっていくかもしれないのに、きっといいことがあるなどとは。

少なくとも私が今生きているのは自殺に失敗して腹をくくって生きようと覚悟したから生きているのであって、あの時死んでいたとすれば、それはそれでよかったと思っています。

使命

しかし人が生きていくということは、なんらかの使命を持って生かされているという事だとも思っています。そうであるならば自殺はその使命の放棄になり、これまで自分が生かされるために犠牲になってきた数々のものに対する裏切り行為であることに間違いはありません。私の場合にはその使命を遂げるまでは見えない力が死ぬ事を許さなかったのでしょう。そう考えた事も、腹をくくることができた理由です。

自分の使命など、だれからか明確な指示があるわけでもないので、はっきりと自覚することは出来ません。しかし誰しもが、生まれてきてからこれまで生きてきた道程において、なんらかの人より優れた技能が与えられているということは自覚しているでしょう。そのようなものが与えられている以上は、それを使って何かをしろという事だと思っています。

私は発達障害であるため、一般的なことがほとんどできず、多くの人は社会不適合者とみなすでしょう。そのような私が唯一人よりわずかに優れていたのは文章力でした。私の人生をこれまで翻弄してきた文章と発達障害という二つのことを振り返ったとき、文筆で名を上げ、その技能で発達障害者の福祉に尽力することが私の使命なのだろうと、ぼんやり考えるようになりました。

そう考えてから、腹が据わった

そう考えるようになってからは腹が据わりました。文筆で生活を確立するために、馬車馬のように文章を書きまくりました。うつ病とパニック障害のため最初は捗らないときもありましたが、徐々に加速度を増して行き、昨年8月にはパニック障害はほとんどでなくなりました。

8月の時点ではまだ月に10万円くらいしか稼げていませんでした。しかし書いて、書いて、書きまくりました。12月末までに約250万文字、原稿用紙換算で約6000枚ほどを書き上げました。この間、身体を横にして寝ることはなく、一日も休むことなく書き続けていきました。そして年末には、同年代の会社勤めをしている人の平均的な給与の倍ほどの月収が得られるようになっていました。

経済困難がなくなったことで、うつ病もほぼ改善されました。パニック障害で手足が動かなくなるということもなくなりました。

 

しかし大きなストレスを感じたときには脳がしびれたような感じがして、思考がストップするという感覚は以前よりも強くなったと思います。パニック障害が別の形に代わったのではないかと思います。なんとかこの痺れを取らなければならないと思ったときには柱や街路樹に頭をぶつけるクセがつきました。木に頭をぶつけると確かに脳は少々しっかりするのですが、額からは血が流れ、後日その木を見ると亀裂が入って樹液が垂れているので、よほど強い力でぶつけているのだと思います。ぶつけているときには痛みは感じることが無く、自分がその行為を行っていることに関する自覚はあいまいです。誠に妙なクセがついてしまったものだと思います。

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1989年、広島に生まれる。
理系大学に進学するも、文筆家を志すようになる。
在学中より定期刊行物への投稿を始める。
卒業後は毎月1本の連載を抱えるも、発達障害のためにアルバイトを転々とする。
経済困難による自殺未遂なども経験しながら文章の道を求め、現在では文章一本での生活を確立している