モラトリアム

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Lei Oshiro

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発達障害を抱える人間にとって1番の大きな壁が思春期から青年期にかけてやってきます。それは発達障害がない人にとっても同じことが言えるでしょう。“自分とはなんであるか?” “どう生きていくべきか?”など深く考えていく時期であり、そういう問いかけを通して自分自身を形成し、“自分” と言うものを実感し、“これが私なんだ!” という実感のことを心理学用語では自我同一性と呼びます。そうやって”自分” を確立していくのですね。モラトリアムとはその”アイデンティティ=“自分とは?” を確立するまで社会的な義務や責任を猶予されている期間と言われています。

さて、私の場合は何歳まで自分を確立していく時間を要したかと言うと、恥ずかしくて言えないので秘密にしておきます。もしからしたらつい最近なのかも? と思いはするのですが....。

発達障害とひと言にまとめると、私の“こだわり脳” が上手く機能しないので、少し細かくいきます。

ASD<自閉症スペクトラム>のある人間にとっては、とにもかくにも、自己の確立なんてものはものすごく難問であることは声を大にして言いたい。そもそも、

自閉の三つ組み ①社会性 ②コミュニケーション ③想像力 を考えて欲しい。

①社会性

①社会性=対人関係の特異性 孤立群、受動群、積極奇異群 とも分かれ、他者との共有の難しさが顕著にでる。

孤立群 他人に対する関心そのものが乏しい群。知的発達に重度の遅れがある場合はこのカテゴリーに分類されることも多いらしいが、加齢や知的発達の進行により別の群に移動あり<自閉は変動します!!!>

受動群 言われたことに従いやすいタイプ。問題行動が少ないが、青年期に際だった変化が訪れる..かも。w
積極奇異群 自分の興味関心のあることを一方的にしゃべるのが特徴である。<私はこのタイプにやや近い>

②コミュニケーション

②コミュニケーション=....私の言語能力に限界があるので...引用すると

  • 話し言葉を使うことが困難である。→沖縄の地元に育ったのに標準語、なまりがない。<他者とのコミュニケーションで育った言語ではなく、テレビや他の情報源>
  • ある事象を特異な言い回しで表現する。→独自の表現方法。そしてそれを強要する<私の子供達>
  • 助詞の誤用が見られる。→伝わらないのに勝手に怒りだす。<幼児なら分かるけどね...うん>
  • 話し言葉を理解することが困難である。→難しい言葉が好きでよく使うが、経験値からしてもずれている。
  • 言語理解に遅れが見られなくても、字面通りの解釈をする。→想像力の生涯にも関連するかと..
  • 冗談や駄洒落は理解できない。→私は、まじめに受け取る傾向にあり、パターンを思い出す作業を必要とする
  • 独特なイントネーションをしたり、不必要に大きな声でしゃべったりする。→声の調整はほぼ出来ない...イントネーションは外国人..
  • 非言語的コミュニケーションの使用と理解に問題がある。→KY

 

私はこの手のものをみると笑いがどうしてもでてしまうのですが、

私の次男の診断名.広汎性発達障害、注意欠陥多動性障害、軽度知的障害。長男と三男...広汎性発達障害,注意欠陥多動性障害。

三男は去年のwiskⅢの結果からみると軽度知的障害と診断書に載りそうなところですが三男に関しては本人の意欲独特の思考回路のため純粋な知的IQを測るのはなかなか難しい気がするので、主治医も私親自身も、知能検査の結果に笑いが生じると言う結果です。次男と同じ様な数値はでていますが、本来の知的な遅れではなく、独特な思考回路と...”やる気”...ですね。 私の子供達は三人とも広汎性発達障害と書かれますが、純粋な?知的なおくれがみられるのが次男です。三男に関しては、Dr.も初診のときに“んーーーアスペ...?”とつぶやいてたのを、”なになに?”突っ込んだ私に、“まあまあ検査の後で..”なんて話していたのが主治医です。私自身あまり診断名にこだわらないのは、診断名はあくまでも各機関に提出用のものであり、医者によっても診断名はさまざまであり、知的に高いからアスペルガー症候群とも限らないのです。

 

 支援者の気をつけなければいけないのは知的IQにこだわらにコトだと常々思います。

 知的に高くとも、自閉スペクトラム上の人間にとっての社会で生きてく課題は、知的に高い程、理解も得られにくく、本人が自己を確立していく課程では、”ぶちあたる壁”が大きなものになるのではないか...と思います。

③こだわりと想像力の障害 

○特定の物または物の一部に対する執着

○常同反復的な行動

○変化、変化への抵抗

 こだわりに関しては、本人の情緒的な安定によってもかなり変動してくると思うのですが、想像力の障害=見通しが立てられない コトに関しては、想像がつかない、何が起こるか想定できない状態の人間は誰でもそれなりのストレスがかかることであり、だから余計に、本人達にとっては常同的な...=これにも色々ありますが、毎日を同じルーティンで活動することなどで安定を保つとも考えられますね。

人間関係には“暗黙のルール”といものがあり、それは高度の柔軟性が求められます。変化に弱い為に、変動し続ける世の中は脅威に感じるのはASDの人間にとっては当たり前なことです。

ADHDに関しても語りたいところではりますが、

ここにあげただけでも、社会生活を営む上で、”それはしんどい” と共感を得られた方がどれだけいるか...ただ、発達障害に関しては、①社会性 とでてくるくらい、その診断は社会に依存したものであると思われ、<私がアメリカで生活すると私の障害特性はあまり目立たない..笑>

それでも、年齢が幼ければ目立たない障害特性も成長とともに目立ち、特に女子の世界は複雑であり、上記にあげた特性を持ち合わせ思春期...青年期に突入し、自分が何者であるのか更に混乱をしていくと言う課程があります。想像力の弱さ、社会性の弱さから、他者を通しての自分を見つめることも難しく、ワケのわからない疎外感だけが蓄積され混乱に陥ります。自分自身の幼さを見つめることもどれを基準にしていいか分からず、独特の視点て見つめることや、知的に優れていたりすると、学校での学業の成績だけが分かりやすい結果になり、そこで人を判定してみたりと、しかし、友人関係がうまくいかない...など

 障害に対しての理解のある家族、よき支援者、先生、医療関係者があることにより、発達障害のある人間にとっては、人生に大きな差が出てくるのはわかりやすいものではないでしょうか。他者の中での自分を見つめるのに更なる段階が必要であり,そのようななかで社会的な責任が伴ってくることは本人達によっては多大なる困難であることは間違いないですね。

 関係性の中での自分、どんな人も違ってて当たり前で、そして発達のバランスに偏りがあればそれ以上に時間をかけて自分を見つめる、“自分”を確立していくことに時間をかけることは罪でしょうか?

 世の中は、厳しいモノです。分かりやすい障害なら人は理解しやすいでしょうが、知的に発達してくると更に発達障害のある人間にとっては、ASDを持つ人間にとっては、偏ったり、少し常識とはずれてくることも否めない。人と人は繋がっている。そんな中、常識だけを当てはめていては苦しい人間がいるのを、少しでも理解してもらえると嬉しい。それぞれの国に常識があるように、ASDのある人間にはそれなりの常識が存在していると言ってもおかしくないと思います。

 発達障害がいかに社会に依存したモノであるか理解すること、猶予期間= モラトリアム期間が定型発達に対し時間がかかること...

その理解が広がるだけでも、複雑に繋がる人間関係も、社会もよい物になるのではと思わずにはいられない今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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