二次障害を起こさない姿勢

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aspeman

1989年、広島に生まれる。 理系大学に進学するも、文筆家を志すようになる。 在学中より定期刊行物への投稿を始める。 卒業後は毎月1本の連載を抱えるも、発達障害のためにアルバイトを転々とする。 経済困難による自殺未遂なども経験しながら文章の道を求め、現在では文章一本での生活を確立している

この文章は発達障害当事者の私が、同じく発達障害を抱えた人に対して書く文章です。

発達障害の怖さは、発達障害ゆえに社会に適合しにくいということが第一に挙げられるのですが、それと同時に、社会に適合しにくいということを悩んでうつ病やパニック障害といった二次障害を発症することにあります。今回は二次障害を発症しにくくするための生き方・基本姿勢について、私の思うところを書こうと思います。

結論からいえば、“あきらめも肝心”ということです。発達障害を抱えて生きる以上は社会に適合しにくいことはもはやどうすることもできないことなので、これに悩んだところで悩みが解決されることはなく、悩み悩んで結局二次障害を発症することになります。悩むから二次障害を発症するならば、悩まなければ良いでしょう。

そのためには、自分が出来ることと出来ないこととを明確に判断し、出来ないことに関しては無理にやろうとはせず、さっさとあきらめてしまえばよいと思います。仕事をしていく上で出来ないことを命じられることもあるでしょうが、うまくやろうとは思わずに堂々と失敗し、開き直っておけばよいでしょう。

私も掃除ができないこと、物覚えが悪いこと、要領が悪いことなどに関して完全に開き直っています。掃除は出来る範囲でやる。物覚えが悪ければ何回も聞く。メモしながらメモは取れないため、話の途中でちょっと止まってもらったり、何回でも聞き直す。要領のよい作業はどう考えてもわからないので、いちいち手順を聞く。

そうすることによって嫌な顔をされたり、駄目な奴だと思われることもあるかもしれませんが、自分のできるところでは十分に力を発揮していけばそのマイナス点は相殺できますし、自分の技能が優れていたならば、得意分野での功労がマイナス点を補って余りあるでしょう。そうすればそれほど文句を言われることはありません。

出来ないことはやらずに、できることを一生懸命やるということだけを考えておけば、心がかなり楽になります。

 

また、これも私にはよくあったことですが、発達障害に理解のない人間から、出来ないことを命じられ、出来なかったことを非常に辛辣に批判されることがあります。このような時には思わず手を上げそうになるほどの激しい怒りを覚えます。このようなことがあると、怒りで涙と鼻水があふれ出て、発狂寸前になるほどの怒りを抱き、記憶がところどころ飛ぶような血の沸騰を覚えたものです。

発達障害が理解されにくい障害であり、さらには理解しようとする姿勢がない健常者が大部分である以上は、このような批判はつきものです。この批判のたびに激しい怒りを抱いていたのでは、いつか我慢の限界がきますし、我慢の限界が来た時に相手に対して手を上げてしまう可能性がないわけではないのです。

また、怒りを覚えずとも、健常者の何気ない話の中に気にかかることもよくあるので、私は基本的に、健常者に対しては冷めた態度で臨むという姿勢を取っています。ごく親しい間柄の人にたいしては情熱的に接しますが、それ以外は基本的には熱くならず、冷めた態度で臨むようにすると、普段ならば気にかかるようなことを言われても、あまり気になりません。普段ならば非常に激しい怒りを覚える批判をされても、「何言ってんだこいつ」くらいに思っておけば怒りはあまり起こってきません。

批判をされた時は適当に聞き流しておいて、最後に「すいませんでした」と言っておけば、たいていの健常者は満足します。こういう人間と言うのは、往々にして人を激しく批判しけなすことで自分を優位に立たせて自己満足に陥っているものですから、適当にしゃべらせておいて、あとはすいませんといってちょこんと頭をさげてやるとそれで終りです。当事者側は適当に聞いているため、批判されたことをあまり覚えていませんから思い出して悔しく思うこともありません。

ごく親しい人とは情熱的に接しておけばいいと思います。ほぼ100%の人から理解してもらうことが難しく、理解してくれない人の多くが蔑視や偏見を含む批判的な姿勢で臨んでくるのですから、それらに対していちいちぶつかっていては精神衛生上よくありません。このことで冷めたやつだと思われても、そう思う人間に対してまた冷めた態度で臨み、本当に分かってくれる一部の人と親密に付き合っていくのがよいと思います。

 

この記事を書いた人

aspeman編集者
1989年、広島に生まれる。
理系大学に進学するも、文筆家を志すようになる。
在学中より定期刊行物への投稿を始める。
卒業後は毎月1本の連載を抱えるも、発達障害のためにアルバイトを転々とする。
経済困難による自殺未遂なども経験しながら文章の道を求め、現在では文章一本での生活を確立している