ADHDの私、子どもの頃はこんな子だった

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emma

一児の母。大学生の時のバイトでミスが多かったことや、 友人とのコミュニケーションがうまく取れないことをきっかけに、 自身に発達障害があるのではないかと疑いはじめる。 大学卒業後は就職できず、フリーター、契約社員など転職を繰り返し、 社会人6年目で軽度のAD/HDとの診断を受ける。 結婚を機に仕事を辞め、翌年出産。 現在はライター業やネットショップの運営など、 家でできる仕事に徹している。

私自身、ADHDであるとわかったのは27歳の時でした。子供の頃に発見できなかったのは、発達障害の子供にありがちな、落ち着きがない、集中力がないなどの目立った特徴がなかったからです。親が厳しかったことと、私が長女であることから、「しっかりしていて真面目」と言われる子どもでした。

そんな私の子供の頃はどんな様子だったのかを簡単にご紹介します。お子さんが発達障害かもしれないと悩んでいる方に、少しでも参考になれば幸いです。

 

落ち着きのない子ではなかった

私は不注意優勢型のADHDのため、いわゆる「授業中に席を立って教室をうろうろする」子供ではありませんでした。しっかり席について授業を聞くことができましたが、空想に耽ったり、ノートの隅に落書きをしたり、教室の時計を眺めて授業が終わるのをひたすら待っていたりして、最後まで授業に集中するということはできなかったように思います。

 

成績は悪くなかった

意外に思われるかもしれませんが、成績は決して悪い方ではありませんでした。小中学生の時はテストで80~100点くらいの点数を取っていましたし、高校生の時はどんなに悪くても60点台、良いときは90点以上取っていました。学年では「上の下」くらいといったところでしょうか。負けず嫌いの性格のおかげなのか、勉強だけは真剣に取り組んでいました。ただ、勉強を頑張れたことと集中して勉強できたことは別の話で、集中力がないなりに頑張れたということだと思います。自宅でテスト勉強をしている途中でマンガを読み始めたり、テレビを見始めてしまったり、ということはよくありました。

小学校5年生の時の担任の先生こう言われたことがありました。

「Emmaは100点が取れない子なんだなぁ」

100点を取ったことは何度もありますが、ちょっとしたケアレスミスで90点台になってしまうことの多かった私のことを、先生は「惜しい」という意味で評したのでしょう。実際に、中学高校の定期考査では、ちょっとした確認ミスのせいで点数が下がってしまったことは一度や二度ではありませんでした。

 

おっちょこちょいなところがあった

当時の通知表の備考欄には、「忘れ物が多い」という先生からのコメントがありました。確かに、親に催促されて宿題はしますが、持ってくるのを忘れることが多かったです。連絡帳に持ってくるものを書き留めても、連絡帳を見るのを忘れて持参できなかったこともあります。ただ、こうした忘れ物は、子どもの時に誰でも経験することで、私はそれがちょっとだけ人より多いだけで、全く気にすることはありませんでした。

こんなエピソードがあります。

中学生の時、部活の県大会に出場することになり、朝早くに中学校の門に集合することになっていました。生徒や先生を含めて40人くらいで行くので、大型の観光バスを手配し、約1時間かけて会場へ向かいます。

その時私、5分ほど遅刻しました。

バスは私を待っていてくれていました。

怒っている先輩にただただ謝り、バスに乗り込みました。ところが、悪いことは続くもので、競技用の靴を持ってくるのを忘れたことに気づきました。学校から家まで走れば3分くらいで着くので、バスを降りて全力疾走で家まで靴を取りに行きました。その間も、バスは私が戻ってくるのを待っている状態…。この時は部活の先輩や、先生に対して本当に申し訳ない気持ちになりました。自分の忘れっぽい性格を心底恥じた経験です。

 

いかがでしたか?

集中力がなくておっちょこちょい、だけど落ち着きがあって勉強ができた私がADHDと診断されたのです。「この特徴があれば発達障害」とひとくくりに決めることができないのが、この障害の難しいところなのです。

この記事を書いた人

emma
一児の母。大学生の時のバイトでミスが多かったことや、
友人とのコミュニケーションがうまく取れないことをきっかけに、
自身に発達障害があるのではないかと疑いはじめる。
大学卒業後は就職できず、フリーター、契約社員など転職を繰り返し、
社会人6年目で軽度のAD/HDとの診断を受ける。
結婚を機に仕事を辞め、翌年出産。
現在はライター業やネットショップの運営など、
家でできる仕事に徹している。