15才でうつ病、22才で広汎性発達障害と診断された私の半生

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たまご

1989年生まれ。 高1で鬱病を発症。 22歳で広汎性発達障害が発覚。 鬱病と広汎性発達障害で手帳3級取得。 24歳で躁鬱病に診断名が変わる。 現在は職業訓練に通いながらアルバイト中。

はじめまして、たまごと申します。
私は15歳で鬱病と診断され、22歳で広汎性発達障害と診断されました。
24歳である今は、障害者手帳(3級)を取得し、躁鬱病と広汎性障害と共に生きています。
躁鬱病と診断名が変わったのは最近で、どう付き合えばいいのか模索している日々です。
私は周りにカミングアウトしても「そんな風には見えない」と必ず言われます。
親にも「気にしすぎだろう」といわれます。
しかし、幼少の頃から、広汎性発達障害の片鱗はありました。
たとえば、幼稚園の頃は自由帳 に枠を作り、見たことのある漢字をひたすら書いていくという遊びを一人でしていました。
小学校の頃も漢字を練習帳に練習して提出する数はクラスでいつも1番。
中学校では、休日に12時間勉強していたこともあります。
得意科目と不得意科目に大きな差はありましたが、学業の面では優秀だったと思います。
部長や委員長といった役をまかされることも多くありました。
高校は地域で1番の進学校に進学しましたが、半年して鬱病を発症。
そこから大学を出るまで、学校に行ったりいかなかったりの日々を過ごしました。
先ほども述べたとおり、私は学習面では問題のない子供でした。
反抗期も特になく、友達関係も良好でし た。
そのため、両親や先生は私を「普通よりできるいい子」だと信じ込んでしまったのはないでしょうか。
でもその内面で、両親には言えない葛藤をしていました。
なんとなく生きづらいな、ほかの子と違うなと感じていました。
しかし、自分をうまく取り繕うことで社会になんとか適応していたのです。
私が「いい子」を演じていたこと、両親や先生が「いい子」にしか見ていなかったこと、
これが二次障害を引き起こした理由かなと思います。
もし早期に広汎性発達障害に気が付いていれば、躁鬱病は発症しなくて済んだのではと思うこともしばしばあります。
その後、就職して2か月で休職。
その際に発達障害と診断されまし た。
2か月で復職したものの、2年で退職し、現在はフリーターです。
就職してからたくさんの困りがありました。
たとえば、
電話の音がうるさくて仕事ができない
2つのことを同時に頼まれるとパニックを起こして、フリーズしてしまう
仕事に集中しすぎて上司の声が聞こえない
などです。
外に出てほかの人と同じように働くことは、私には少し難しいようです。
今後は職業訓練に通って、スキルを身に着け、障害者枠で働く予定です。
最終的には在宅で仕事ができるように整えていきたいなと考えています。
この場を通して、発達障害のお子様をもつ保護者の方や、発達障害に なやむ皆様に情報発信できればと思います。
特に、自分の反省を踏まえて、「二次障害」を防ぐということに重点をおいてお話していきたいです。
つたない文章ではありますが、おつきあいいただければ幸いです。

この記事を書いた人

たまご
1989年生まれ。
高1で鬱病を発症。
22歳で広汎性発達障害が発覚。
鬱病と広汎性発達障害で手帳3級取得。
24歳で躁鬱病に診断名が変わる。
現在は職業訓練に通いながらアルバイト中。