やっぱりそうだった!上司に発達障害への理解があると、当事者は仕事がしやすい!

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たまご

1989年生まれ。 高1で鬱病を発症。 22歳で広汎性発達障害が発覚。 鬱病と広汎性発達障害で手帳3級取得。 24歳で躁鬱病に診断名が変わる。 現在は職業訓練に通いながらアルバイト中。

こんにちは、たまごです。今日は私の社会人生活についてお話ししたいと思います。

私は大学を卒業してすぐ、大きな教育関係の会社に入社しました。
そこで3ヶ月働いて、鬱を再発し、2ヶ月休職しました。(この休職期間に発達障害が発覚しました)
トータルで2年間働きました。

当時はたった3ヶ月でねをあげてしまうなんて、なんて情けないんだと悩みましたが、高校時代も半年で鬱を発症したので、そういう気質なのかもしれないと思うようになりました。

何が苦しかったのか今振り返ると、
1.常に生徒の声や電話の音でうるさかったこと
2.生徒や同僚に呼びかけられることが多く、自分の仕事に集中できなかったこと
3.出来ないことが多く、自己嫌悪に陥ったこと
だと思います。

その会社は新人教育をとてもしっかりしている会社で、それに耐えられなかったのも大きいかもしれません。

仕事をしている最中に他の仕事を振られてはパニックに陥り、電話が鳴っては涙目になり、一日の大半、給湯室にこもる日々でした。
フリーズすることも多く、皆さんに心配をおかけすることも多かったです。

休職直前の時期はほとんど仕事にならず、頭を抱えて耐えているばかりでした。
朝の早い時間にいってルーティンの仕事を終わらせて、仕事中はひたすら我慢していました。

 

上司が発達障害に対する理解があった。助かった。

周りも私の異変に気付いていました。
食事に誘ってくれたりもしましたが、余計にしんどくなるばかりでした。

そうして私は逃げるように休職期間に入りました。

休職があけると、上司は私の仕事の多くを他の人にふりました。
私は仕事がほとんどなく、他の人の仕事を手伝うことからスタートしました。

毎日定時に帰れる日が多かったです。

上司がすごく理解のある方で、伝えた私の障害特性をみんなに周知してくれていました。

電話も生徒対応もできるまで待ってくれて、仕事もできることから始めることができて、とてもいい環境で、過ごすことができました。

だんだん仕事も感覚をつかんで、電話もとれるようになって、元の仕事の半分くらいはこなせるようになりました。

これは運が大きいとは思いますが、上司の理解があることが復帰への一番の近道だと思います。
私は2年目に上司がかわり、それが原因で退職しましたが、復帰自体はうまく行ったなあと感じています。

この記事を書いた人

たまご
1989年生まれ。
高1で鬱病を発症。
22歳で広汎性発達障害が発覚。
鬱病と広汎性発達障害で手帳3級取得。
24歳で躁鬱病に診断名が変わる。
現在は職業訓練に通いながらアルバイト中。