発達障害のある私が外資系企業で働くようになるまでの話


(インタビュアー:荒川)
こんにちは、30代の男性です。現在は外資系企業で働いています。

 

私がこれから話す話の中で伝えたいこと。

それは、発達障害があって障害者手帳を持っていても、

それなりに豊かに生きるやり方があるということです。

豊かに生きるために何をしたか話す前に、

まず私自身がどんなハンディキャップを持っているのか、

どんなふうに生きてきたのか話します。

 

▼病院に行ったきっかけ、発達障害(ADHD/アスペルガー症候群)の診断が下りた時期

私は今から8年前の24歳の時、発達障害の診断を受けました。

診断を受けるきっかけとなったのは、当時勤めていた会社の上司に

医師に診てもらうことを勧められたからです。

 

上司がこのことを私に勧めるきっかけになったのは、

上司と上司の友人と私との3人で会話する機会があった時のことです。

上司とその友人は私と話す中で、コミュニケーションの取り方に強い違和感を感じたようでした。そしてその方は上司に、私に対して感じる違和感を伝えました。

 

その上司自身もうつ病で心療内科にかかっていたこともあるのか、

上司は私に病院に行くことを勧めてくれました。

勧めを受けた私には「医者にいけと言うなんて、失礼な!」

というような抵抗感は全くありませんでした。

それまで私はずっと、社会と自分に対して、形容しがたい違和感、たとえるなら「見えない壁」のようなものに邪魔されており、自分がやることがうまくいかないと感じていたこともあって、私はすんなり病院に行くことができました。

 

病院での診断は発達障害(ADHD/アスペルガー症候群)でした。

ADHDの落ち着きの無さや集中力のなさを抑える薬であるリタリンを処方され、それを飲んだところ、落ち着きました。

具体的に自分の感覚としては、ADHD7割(衝動性)、アスペルガー症候群3割という感じがしています。

 

しばらくの間はリタリンを飲んで調子良く過ごすことができました。ですが薬事法が変わったため、処方してもらえなくなってしまいました。

その後、色々な薬を飲みましたがなかなか自分にあった薬を見つけることができませんでした。これまでに飲んだことがあるのは、リスパダール、セディール、セレニカ、セロクエル、パキシルです。

今から2年ほど前にストラテラを飲み始めてからは、焦燥感が消え、会話するときに早口になり過ぎるようなことがなくなり、落ち着いています。私にとってストラテラの利点はゆっくり穏やかに効いてくれることです。

 

▼高校卒業から今までの私の経歴

「外資系企業に勤めている」と言うと、

もともと私が恵まれた状態にあったのではないかと思われることがあります。

ですが、私の人生は決して順風満帆というわけではありませんでした。

 

11歳~15歳 転校と発達障害から、いじめ、登校拒否を経験。(成績は上の中くらい)

 

15歳~19歳 私立の進学校に進学するも、遠距離通学のストレスから持病のアトピーが悪化し、高校は休みがちになり、大学受験に失敗。(学校は偏差値65-70の進学校であり、生徒の基底能力が高かったせいか、不思議といじめは無かった。今思えば外資系企業に通じるものがあったのかもしれない。)

 

19歳~20歳 フリーターになり、これまでの発達障がいによるストレスからは開放されたためアトピーは落ち着いたが、魂が抜けた状態のようになり、寝ていることが多かった。

その後、音楽の専修学校に入学するが、アスペルガー症候群による想像力の欠如から、授業を聞いても全く理解できず、授業中に泣き出す事もあり、学校は休みがちに。(この頃より他者との違和感/見えない壁を強く意識する)

 

21歳~22歳 音楽の専門学校を卒業、父親が所属する伝統芸能の研修生に正式に入門するも研修生を辞め、フリーターに戻る。母親も発達障害の傾向が強く、仲が険悪になったため、都内で一人暮らしを始める。

 

23歳~24歳 IT系ベンチャー企業に営業職にて入社→発達障害のためか営業成績はあがらず、アトピー悪化のため半年で整理解雇。
 

24歳~25歳 IT系モバイル企業に営業職にて入社→前職同様の理由で半年で整理解雇。3年間付き合っていた年上の女性と結婚し、しばらくアトピー治療に専念。このとき初めて発達障害の診断を受ける。

 

25歳~27歳 アトピー治療をしながら派遣を転々とする(洋服屋、ドラッグストア、医療機器メーカー等)その後、アトピー悪化のため休職、半年の通院生活を送る。年末にリハビリでアルバイト入社した中小企業にて、半年間に渡ってトップクラスの営業成績を収めその後個人事業主にて独立。途中までは調子が良かったが、リーマンショックの影響もあり思うように稼げず、Wワークをしながら、障害者手帳を使った転職活動を開始。この頃よりキャリア形成を意識し始めるが、発達障害の影響からパートナーと喧嘩が絶えず、別居がちになる。

 

27歳~28歳 障害者採用枠で営業職にて外資系企業に入社、離婚。

30歳 障害の観点からコミュニケーション能力に難有り、営業に向いてないという理由で整理解雇。大手外資系企業のバックオフィス業務に転職。アシスタント業務をこなしながら、社内売り込みにて、データ運用部署に移動。データ運用の部署では、膨大な量の社内営業データの整理/運用を行うデータマネジメントという業務を行う。

 

30歳~ 現状に至る

 

内訳

アルバイト/派遣 10社以上

日系企業 4社

外資系企業 2社

合計  16社以上

 

27歳の時から、企業に対しては自分が障害者であることを

カミングアウトして障害者枠で採用してもらうようにしました。

そして、障害者枠で雇用してもらっていなかったそれまでと比べて、年収が大幅に上がりました。普通は障害者枠になったらそれまでよりもさらに給料が減ると考えますが、そうはならなかったのです。その理由は、外資系企業に絞って就職活動をしたからです。

次回は「16社を転々とした私が、外資系企業の環境が発達障害のある人に合っていると考える5つの理由」です。