
Kanoko_MORI

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- アスペ女子の思い出:子どものうちに自分にあったやり方を知っておいたら、大人になってからも役に立ってるなぁ - 2014年12月31日
はじめまして。KanokoMORIといいます。
最近発達障害の診断を受けました。現在はフリーの作家業とアルバイトをしながら自分研究をしています。
わたしは、就職1年目で二次障害を発症し、クリニックを受診、検査を受けて二次障害であるうつと、未診断アダルト・チルドレン(※)に気がつき、そのベースに発達障害があることを知りました。
(※子どもの頃に育った家庭環境で、本来経験しないでいい困難を経験した人のこと。自尊心が低くなってしまうなどの困り感を持ってしまうことになる。)
発達障害について調べるようになった今から思えば、こどものころから自閉っ子全開で生きてきました。
そして、じぶんでもずっと正体のわからない感覚のズレや困り感にぼんやりとなやんできました。それが、診断をうけることでハッキリし、霧が晴れたような気持ちです。
このマガジンでは、そういう自分の経験について、自分がいま考えていることについて書こうと思います。
今回は、第一回めということで、自己紹介も兼ねてこれまでの自分の経験から「これはいまから思うと特性のひとつだなあ」とおもうことをいくつか、それに対する「わからないなりの対処と周囲の反応」を、うまくいったぶぶんについてフォーカスして書きたいと思います。できるだけエッセイのように、読みやすい文を目指しますが、精確なことばへのこだわりが非常に強いため、これはわたしにとってはすこし挑戦です。
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①小学生の時にクラスメイトからしてもらって助かったこと
私の場合、いわゆるよく目立つ「生まれてこのかた問題ばかり。いじめに不登校・・・」という「わかりやすいつまづき」がありません。それは、「わかりにくい障害のくるしみ」という側面でもあり、「これのおかげでそこそこうまくやってきたのか!」というわたしたちに必要な工夫や支援がわかるという面もあります。
よく覚えているのは、小学生のとき、自分だろうと他人だろうと、ルールからはみでることが気持ちが悪くてつらくてゆるせませんでした。
けれども、みんな簡単にルールを破るので、わたしはよくパニック(今考えると、それはパニックです)で言葉も出ず、ただただうわーっと混乱してしまうことがありました。
当然周りはおとなもこどもも困ってしまうわけですが、そんなときに、あるクラスメイトの子が、少しだけ混乱がおさまって視覚処理が正常に戻りかけているわたしに「どうしたの?」とかいた紙と、えんぴつをさしだしてくれたのです。
小学生とは思えないコミュニケーション力と視覚支援です。
それによってわたしははじめてうまくじぶんの「うわー!」を「伝わる言葉にする」ことを学び、また、彼女は「言わなきゃわからないでしょ!」と言われ続けてきたわたしに「言えないときは、書いてもいいんだよ」という救いをくれたのです。
さらにすごいのは周囲のおとなとこどもの反応で、「すごいねえ、書けば意思疎通できるんだ、よく思いついたね。」と、私たちをほめてくれたのです。ここで「なんて面倒なんだ」というたぐいの言葉掛けが一切なかったことで、さらにわたしは急速に落ち着きを取り戻し、以来「書いて表現する」ことは便利な手段だ、とインプットされました。
わたしの地元はとても田舎で、それは「違う」ことに対して不寛容な面もあります。いまのいままで、地元から、自分の家から逃げたくて逃げたくて、一人になりたくて、みんな同じじゃない環境をさがして、外にいましたが、経済的事情で実家に戻り、しんどいことがたくさんあります。
しかし、一方で「あいつはこういうやつやけど、いいやつ。こういう工夫してあげれば、いいだけ。」「やりたくないなら、ほかのことをすればいい。自分で食べられれば、放っておく。好きにさせる。」
という目線も身近にたくさんあります。また農業など、発達に偏りがあってもできることがおおいです。そして、風景・音がシンプルで人工物が少ないのも、わたしにとってはいい影響であった思います。そのくせ、これは私の住んでいる地域独特または、現代独特のものですが、情報機器が発達し、ユニバーサルデザインが各家庭にも教育の世界にも入り込んできています。
②現在:小学生の時に知った、自分に合ったやり方を活用できる
そんな周囲の環境と自分の偏り方(学習面には凸部分ばかり出て、ルールは守りたがるので「めんどくさい子」とは思われるものの、問題として出にくい)・書けばいい!などの工夫のおかげで、ここまでたどりつきました。
発達障害がわかった現在では、今回の例について言えば、言葉が書けなくなる前に、ことばが出なくなる前に「静かなところに行ってもいいですか」とメモに書き、アルバイト先の上司に伝えたりするところに、この経験が生きています。
会社は会社のために存在するので、必ずしも対応してもらえるわけではありませんが、説明がうまく通じると、すこし離れた席での業務を許可してくれることもあります。「つたわる言葉にする」ことは非常に重要だ、と感じます。もちろん、それができなければ、ほかの手段を研究するでしょう。しかしとりあえず、わたしの記事では、わたしの工夫をシェアし、当事者やかかわる人々がらくに生きられる一助になりたいです。
こんな風に思いつきをガンガン書いて、整えています。私の思考は言葉と視覚の奔流のオーケストラのように週種類のテーマが同時進行なので、それを口に出すと、宇宙語です。それを切り分けて、人にわかるようにするのは大変だけれど、いまのわたしのやりたいことです。
この記事を書いた人

- 違和感を感じながらも大学まで卒業、就職1年目で発達障害の診断をうけ、現在自分研究中。
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